事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ユン・ジョンビン『工作 黒金星と呼ばれた男』

 

ネクタイピンの裏に刻まれた言葉、「浩然の気」。孟子によると、それは正しい行いをした際に身中から発する気であり、正しく育てればやがて天地に満ちるという。つまり、個人が正義を貫徹すれば、それは世界をも変革する大きな力となる。まさに、この映画に相応しい言葉だが、しかし、この場合の正義とはいったい何なのか。国家、個人によってその価値観は異なり、人はその立場や環境によって都合のいい正義を振りかざす。逆に「浩然の気」という、絶対的な正義が存在するという考えそのものがイデオロギーの対立を生んでしまう原因なのではないか。
本作の主人公パク・ソギョンもまさに、この正義をめぐる矛盾に巻き込まれ、やがて祖国から二重スパイの嫌疑を掛けられる。身分を偽る=「ふりをする」のがスパイの任務であるならば、二重スパイとは「ふりをするふりをする」存在と言える。その時、スパイは政治的イデオロギーだけではなく、個人のアイデンティティすら揺らぎ始める筈だ。彼は二国間の正義に挟まれ帰属するべき場所すら見失い、やがて破滅する。
しかし、パク・ソギョンは決して破滅する事なく、祖国に裏切られてからも広告会社の事業主として生き延びる事に成功する。スパイ活動の為に偽装した南北間の広告事業はやがて歴史的な実現を迎え、結果的に両国間の関係改善に資する役目を果たすだろう。つまり、本作で天地に満ちる「浩然の気」とは「資本の流入」という事なのである。裏金として流通していた資本を白日の下にさらけ出し、経済活動の一環として公然(浩然)と流通させる事。マルクス主義があくまで経済学として出発した事を考えれば、本作の(資本主義的)リアリズムは資本主義国である韓国の映画として圧倒的に正しい。パク・ソギョンは本質的にそれを直観していたからこそ、北側の尋問によっても自らの正体を隠し通せたのだ。
本作には、巷のスパイ映画にある様な派手なアクションシーンや残酷な拷問シーンなどがいっさい無い。その意味で非常に地味な映画ではあるのだが、ロケ撮影などできる筈も無いピョンヤンの街並みや金正日の宮殿などを再現したシーンは、さすがに金が掛かっていると感じさせる。こうしたドライなテーマをきっちりエンターテインメントとして仕上げる手腕に、韓国映画産業の底力を感じた。金正日を含めた北側高官の描き方も非常に丁寧で、作り手の志の高さが伝わってくる。

 

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韓国映画界が優れたスパイ映画を作れるのは、未だに南北間の緊張関係を保持しているからなのだろうか。ならば、もはやハリウッドは冷戦時代を材に採り、過去から現在を逆照射する様な方法論でしかスパイ映画を撮り得ないだろう。本作はその成果のひとつである。