事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ジガ・ヴェトルフのサイレント映画を観に出掛けた話。

 

神戸映画資料館まで、ジガ・ヴェトルフの映画を観に行ってきた。ピアノの生演奏による劇伴が入り、井上正昭氏の解説付きという豪華な内容である。

井上氏はジガ・ヴェルトフにとってのリアリティが、単に現実をカメラで写し取るだけではなく、作り手の意図に基づいた編集を施す事によって生み出される、あくまで映画的リアリティなのだ、という話をバスター・キートン『カメラマン』を引用しながら解説されていて、大変分かりやすかった。このあたり、マルクス疎外論との関係もあるのかもしれない。

しかし、そうすると三脚の付いたカメラがまるで人間の様にひとりでに歩き出すシーンにはどの様な意味があったのだろう。あの場面では「カメラを持った男」の「男」が捨象され、カメラが独立した意思をもった存在の様に描かれていたのだが。労働の中心が工業機械となり、それを操る人間が消えてしまう、というのはヴェルトフ=マルクス主義の労働思想とは矛盾するのではないか?そのあたり、現地で質問しておけばよかったと後で後悔した。