事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ジェラルド・カーグル『アングスト/不安』

1983年にオーストリアで公開された本作は、その凄まじい内容から1週間で上映打ち切りになったらしい。ヨーロッパでも上映が禁止され、イギリスとドイツに至ってはビデオの発売も禁止となった。アメリカでは「成人向け」を表す「X指定」の更に上をいく「XXX指定」を受け、配給会社が逃げだした、という逸話も残っている。この手の悪趣味ホラーには寛容な我が国でも劇場公開はされず、『鮮血と絶叫のメロディー/引き裂かれた夜』というタイトルでレンタル用VHSが発売されたのみ。これが唯一の監督作となったジェラルド・カーグルは、製作資金の全てを自費でまかない、その結果破産したらしい。その呪われた傑作が、37年の時を経て遂にリバイバル上映された訳だが、公開に先立ち、配給元のアンプラグドは観客に注意を呼び掛けている。

 

「(前略)…劇中、倫理的に許容しがたい設定、描写が含まれておりますが、すべて事実に基づいたものであります。本作は娯楽を趣旨としたホラー映画ではありません。特殊な撮影手法と奇抜な演出は観る者に取り返しのつかない心的外傷をおよぼす危険性があるため、この手の作品を好まない方、心臓の弱い方はご遠慮下さいますようお願い致します。またご鑑賞の際には自己責任において覚悟して劇場にご来場下さい。」

 

こういうハッタリは昔の東宝東和みたいで嫌いじゃない。観客が恐怖でショック死した時にお墓を用意しますとか、絶叫で鼓膜が破れる可能性があるので保険を用意してますとか、80年代のB級映画はこの手の詐欺としか思えない煽り文句で観客を集めたものだ…そんなインチキと一緒にするな!と怒られるかも知れないが。
で、作品の内容に話を移すと、とりあえず冒頭場面のカメラワークに驚いた。殺人衝動に駆られた主人公Kが、あたりに視線を配りながら、閑静な住宅街を歩んでいくこのシーンは、何となく万田邦敏監督『接吻』の導入部に似ているが、Kの姿をバストショットで捉えたカメラは対象との距離や、カメラの高さを一定に保ちながら、初めての殺人に臨むKを追いかけていく。おそらくはステディカムを使用しているのだろう、画面の揺れを極度に抑えたこの移動撮影は、であるが故に劇的効果とは無縁で、昆虫学者が虫を拡大鏡で観察しているかの様な突き放した視線に思える。それにしても、こんな変なステディカムの使い方はあまり見た覚えがない。
しかし、本作はそうした俯瞰的な立場から実際に起きた殺人事件を再現する、ドキュメンタリータッチの作品ではない。冒頭で起きる老嬢の射殺事件で逮捕されたKが、10年後の出所を控えて与えられた外出日に民家に押し入って住人を惨殺するパートでは、映画は当初の客観性をかなぐり捨て、衝動に突き動かされるまま凶行を重ねていくKの混乱をそのまま体現した様な、意味不明で突拍子もないショットが挿入されていく事になる。特に、首を絞められた白塗りババアの苦悶の表情や、障害者のオッサンがよだれを垂らしてニヤついている顔をドアップで写すショットには強いインパクトを受けた。その他、レストランでソーセージをクッチャクチャ汚らしく食べるKの口元をアップで写したり、ただただ観客を不快にさせる様なショットも多いのだが、逆に犯行現場の家屋とその敷地を俯瞰ショットで捉えたダイナミックなクレーン撮影や、Kが地下道で女を追いかける場面の臨場感などはなかなかの出来栄えである。問題は、この様に意図が明瞭であったりよく分からなかったり、冷静だったり混乱していたり、質もテンションもバラバラのショットが継ぎはぎされている点で、これは撮影、編集を担当したズビグニュー・リプチンスキーがミュージク・ビデオ畑の人間であり、とにかくインパクトのある映像を撮る事だけを考えていた、要するに映画として下手だから、という事なのかもしれないが、いずれにせよ、この錯綜を極めたショットの連なりが作品に異様な迫力を与えている事も間違いない。
更に、本作がどれだけ事実に基づいているのか分からないのだが、殺人シーンの描写については非常にフレッシュな印象を受けた。例えば、Kが女を靴ひもで縛るシーンなど、あんなに変わった縛り方(しかもエロい)は先例が無いし、白塗りババアを突き飛ばして殺すシーンの唐突さも実に見応えがある(ババアがものすごく変な姿勢で死ぬのもポイントが高い)。個人的には、小道具としての犬の使い方が非常に効果的だと感じた。特に、前述のKが地下道で女を追うシーンで、同時に地下道を転がっていくボールを犬に追いかけさせる演出は実に巧みで、陰惨な映画のムードに暗いユーモアを沿えている。
後はやっぱり死体かな。これまで様々な映画で大量の人が死に、スクリーンを夥しい数の死体が彩ってきたが、本作の死体描写は本当にリアリティがあると思った。あらゆる意味を剥ぎ取られ、暗い地下道の片隅でにゴミの様に転がっている死体たち。ここには本当の死そのものがある。人間、死ぬ時はこんなもんなんだよ。薄暗くて狭くて誰からも省みられない様な場所でひっそりと無意味に死んでいくしかない。
ジャーマン・エクスペリメンタル・ミュージックの巨匠、クラウス・シュルツェによる暗鬱さと躍動感を兼ね備えた音楽も素晴らしい。サントラもリマスター版がApple music等で配信されている様だ。

 

あわせて観るならこの作品

 

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こちらは1986年に製作されたアメリカ映画で、全米で300人以上を殺したとされる実在の殺人鬼、ヘンリー・リー・ルーカスを描いている。ある種の不毛なラブストーリーとしても描かれている点がミソ。序盤のフォトジェニックな死体描写はポストカードにして欲しいぐらい。