事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

デヴィッド・クローネンバーグ『クラッシュ 4K無修正版』

バラードとクローネンバーグ、2人の異才の欲望が刻み付けられたスキャンダラスなポルノ

子供の頃にTVで放映された『ザ・フライ』が初めての出会いだったと思うが、その後もデヴィッド・クローネンバーグの作品は色々と観てきてはいる。かといって、それほど熱心なファンだった訳でもない。『クラッシュ』も公開当時、瀬戸川猛資がケチョンケチョンに貶している映画評を読んで面白そうだな、と思ったものの、その頃はSFにあまり興味が無かった事もあって、結局映画館に出掛ける事はなかった。本作を観るにあたり、クローネンバーグのフィルモグラフィをネットで調べたところ、『裸のランチ』から始まる90年代の作品は全く観ておらず、かろうじてケーブルテレビで『イグジステンズ』を鑑賞したぐらいである。これは初期の傑作『ヴィデオドローム』をわかりやすくリメイクした様な一品で、ジュード・ロウが出演しているわりにものすごく地味な印象を与える作品だった。そもそも、『マトリックス』が公開された1999年の映画にしては、作中のバーチャル・リアリティをめぐる描写が古臭いので(何かケーブルプラグを人体に装着するとかそういうのだった。まあ、P・K・ディックをやりたかったのだろうが…)、SFファンにもウケなかっただろう。しかし、ジャンル映画として観てみるとやっぱり面白いのである。
これを機会に過去作品を年代順に観ていたのだが、比較的ウェルメイドな作りだった『デッドゾーン』や『ザ・フライ』の反動からか、90年代のクローネンバーグはジャンル映画としての洗練を放棄し、むしろ物語的な破綻を積極的に受け入れようとしていたかに見える。『裸のランチ』にしても、ウィリアム・S・バロウズの小説を忠実に再現するというより(まあ、そんな事は不可能だろうが…)、クローネンバーグ自身の強迫観念や潜在的な欲望のありかを探偵映画のプロットを借りて探し出そうとする試みだったのだろう。そうした自己探求の旅の果てに原点回帰とも言える『イグジステンズ』を撮ったクローネンバーグは、傑作『ヒストリー・オブ・バイオレンス』を頂点とする2000年代の作品へと移行していく。
さて、『裸のランチ』の後にクローネンバーグが撮ったのが、本作『クラッシュ』である。何年か前に「ヘア解禁ニューマスター版」がソフト化されていたが、今回は「4K無修正版」となって久々に劇場公開される事となった。本作はイギリスのSF作家、J・G・バラードが1973年に出版した小説の映画化だが、プロットそのものは『裸のランチ』と異なり、原作に忠実な作りとなっている。クローネンバーグは以前からバラードの小説のファンだったらしいが、そういえば両者の作風の変遷には似ているところがある。滅びつつある世界とそこに生きる人々の姿を詩情豊かに描いた「破滅三部作」と呼ばれる作品群を経て、バラードは濃縮小説集『残虐行為展覧会』を挟み、70年代から「テクノロジー三部作」と呼ばれる作品を発表していく。『クラッシュ』『コンクリート・アイランド』『ハイ・ライズ』と続くこの三部作では、それまでの終末世界から近現代に舞台を移し、テクノロジーによって人間の精神がいかなる変容を遂げるか、その可能性が追及されていた。それまでの冒険小説的なプロットは影を潜め、文体は晦渋さを増し、自己言及的な仮構世界を舞台に人々は未知の欲望に突き動かされながら突発的な暴力や奇怪極まる性行為へと身を投じていく。ジャンル映画から身を引き離したクローネンバーグが、中期バラードの代表作である『クラッシュ』を映画化しようと試みたのは必然だったろう。
テクノロジーによって人間の精神が変化し、それが肉体の変容を招く、というのはクローネンバーグが初期から追及していたテーマである(『ヴィデオドローム』『ザ・フライ』『イグジステンズ』をクローネンバーグ版「テクノロジー三部作」と呼んでもいいかもしれない)。クローネンバーグの肉体変容描写というのは基本的にメタファーが可視化した様なものが多い。無意識の怒りが皮膚にできた腫物となり、やがて怪物へと成長する『ザ・ブルード/怒りのメタファー』が最も分かりやすいが、スナッフビデオの魅力に憑りつかれた男の腹にヴァギナの様なビデオ挿入口ができたり、『スキャナーズ』みたいに頭痛が高じて頭が爆発したり、クローネンバーグの映画では精神と同じく肉体もまた可塑的なものに過ぎず、だから男が女に、女が男にも容易く変ってしまう。クイア(変態)な快楽に向けての潜在的な欲望が肉体に変化を生じさせる。特に、『裸のランチ』『クラッシュ』『エム・バタフライ』と並ぶ90年代の作品はゲイである事への憧れと恐れがない混ぜになっていて、明確な対象を欠いた(私が好きなのは女/男なのか?あるいは女/男のイメージに過ぎないのか?)ラブストーリーとして観る事ができるだろう。『クラッシュ』について言えば、バラードの原作では欲望の対象とされていたエリザベス・テイラーが映画版では省かれており(その代わりに、同じく交通事故死した名優ジェームス・ディーンがクローズアップされている)、1967年に事故死した女優ジェーン・マンスフィールドに扮し、自らもまた事故死しようと目論むスタント・ドライバーが原作以上の存在感を放つ。交通事故によって車両の外装が切り刻まれ、ボディフレームがひしゃげ、フェンダーが醜く変形し、フロントパネルが運転者の身体を圧し潰すその瞬間を、性的エクスタシーと重ね合わせたのはバラードの発明だが、クローネンバーグは性差の融化、というテーマを強調する事で自らの潜在的欲望を刻み付けたのだと言える。

 

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テクノロジーの影響で変容する肉体と精神。男の腹部に突如あらわれる女性器。『クラッシュ』で描かれたテーマの萌芽が既にここにある。

 

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『クラッシュ』と同じく、J・G・バラード「テクノロジー3部作」の映画化。以前に感想も書きました。『コンクリート・アイランド』も映画化&復刊お願いします。