事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ギレルモ・デル・トロ『シェイプ・オブ・ウォーター』

 

主人公の名前が示すとおり、本作のストーリーは『マイ・フェア・レディ』を下敷きにしている。しかし、下町生まれの花売り娘イライザが、言語学の教授であるヒギンズの指導によって言葉づかいを矯正され、一人前のレディになっていく姿を描いた『マイ・フェア・レディ』に対し、本作のイライザはそもそも声を失っており手話でしか他人とコミュニケーションを取る事ができない。航空宇宙センターの清掃婦であるイライザは、そこで捕獲されていた半漁人に手話を教え、次第に心を通わせていく。
この設定から、本作が社会的マイノリティによる言語闘争を主題にしている事は明白である。敵役である軍人ストリックランドは、60年代の強いアメリカ人を体現する人物として描かれているが、その反面、彼が常に失敗を恐れ不安を感じているのは、共産主義の台頭に怯える冷戦時代のアメリカ人の心性を表してもいよう。彼にとって、正しい英語を話す事のできない「女」が、異形の「半漁人」と「手話」によって交流するなど決して許せない事なのだ。手話とは、健常者にとって常に未知の言語として立ち現れる。彼は自分が理解できない言語を使う者に侮蔑的な態度を隠そうともしない。ギレルモ・デル・トロは、性的/言語的/人種的マイノリティの物語をハリウッド黄金時代のミュージカルと強引に接続してしまう。ここでは『大アマゾンの半漁人』というホラー映画(これもまた、映画ジャンル的にはマイノリティの存在であろう)がフレッド・アステアミュージカル映画と同列に語られてしまうのだ。この徹底したボーダレス化はアメリカ社会とその文化に対するアンヴィヴァレントな反応にほかならないだろう。