事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

デイミアン・チャゼル『ラ・ラ・ランド』

 

冒頭とラストのミュージカルシーンは確かに素晴らしい。、このシーンが撮りたい、という作り手の思いがスクリーンから伝わってくるのは、観ていて気持ちの良いものである。ただ、その間に挟まれた本編については、賛否両論あるだろう。ミュージカル映画では、役者の歌と踊りが何よりも雄弁であるべきなのに、本作は映画的な筋運びが先に立ち過ぎて、歌と踊りがストーリーに奉仕している様に見えてしまうのである。もちろん、本作をあくまでミュージカル要素を取り入れたボーイ・ミーツ・ガールものと考えれば納得もできるのだが、冒頭とラストのミュージカルシーンの見事な出来栄えを見ると、なかなかそうも割り切れないのである。ところで、主人公の2人が一緒に『理由なき反抗』を観る場面、ライアン・ゴズリングを探すためにスクリーンの前に立ったエマ・ストーンの身体に、映写機から放たれた映像が映り込む場面は極めて象徴的である。この瞬間、それまで映画に近づく事を許されなかった女優志望の女が、スクリーンと重なる事で映画の中の住人=女優となったのであり、それを見つめるピアノマンは、スクリーン越しにしか彼女を見る事のできない存在=観客になる事を運命付けられたのだ。この場面はピアノを弾く男とそれを見つめる(事しかできない)女、という映画の序盤に示された構図が後に反転する事を予告する。いずれにせよ、彼らはいつまで経っても演じ手と観客という関係性を捨てきれない。そして、その越えがたい距離感こそが2人の別離を招く。しかし、劇中のミュージカルシーンでは演じ手と観客の距離が解消され、2人は共に演じ手となる筈だ。本作は、2人の主人公が演じ手と観客、という関係性を超えた時に現れる筈だった、もうひとつの未来をラストで指し示す。