事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

スティーヴン・スピルバーグ『ウエスト・サイド・ストーリー』

細かな配慮が行き届いたスピルバーグによる再演

ちょうどこの文章を書き始めた時、本作でアニタ役を演じたアリアナ・デボーズがアカデミー賞助演女優賞を受賞した、というニュースが飛び込んできた。ロバート・ワイズとジェローム・ロビンズが共同監督を務めた1961年の『ウエストサイド物語』でも、アニタ役を務めたリタ・モレノ助演女優賞を受賞した訳で、なかなか粋な計らいと言うべきだろう。しかし、プエルトリコ出身の舞台女優だったリタは『ウエストサイド物語』のプエルトリコ移民の描き方には忸怩たるものがあったらしい。肌を必要以上に黒く塗られ、ひどいなまりの英語をわざと喋らされ、プエルトリコへの偏見に満ちた歌を強要される(歌詞は製作途中で修正された)。ポーランド系白人とプエルトリコ系移民の対立、という当時としては革新的なテーマを扱っていた『ウエストサイド物語』も、やはり人種や民族的偏見からは逃れられなかったのだ。その後、彼女は7年間にわたり映画出演のオファーを断り続けたという。
そのリタ・モレノを製作総指揮に迎え、ヴァレンティーナ、という本作オリジナルのキャラクターを演じさせた(ヴァレンティーナは61年版に登場したドラッグストアの店主ドクの妻という設定らしい)のは、スティーヴン・スピルバーグの誠実さの表れに違いない。白人俳優が顔を黒塗りしてプエルトリカンを演じていた(今からするととんでもない話だが…)『ウエストサイド物語』の配役を刷新し、物語における人種構成をキャストにも反映させる。劇中でスペイン語が頻出するのは、住民の大部分がスペイン語を話すプエルトリコの言語文化を尊重したものだろう。更に言えば、女だてらに不良グループにつきまとうエニバディズというキャラクターをノンバイナリー俳優であるアイリス・メナスに演じさせたのも、時流に即した判断だったと思う。実は、エニバディズの描写は61年版とそれほど変わっていないのだが、1960年代と現在では受け止める側の社会的環境が違う。私たちは性差をめぐる曖昧さや複雑さを無視し、単純にカテゴライズする表現に敏感にならざるを得ないからだ。
そもそも、原作のプロットは現代版『ロミオとジュリエット』とでも言うべきもので、人種的対立といった社会的テーマも主人公トニーとマリアの悲恋をより際立たせる背景、という意味合いが濃かった。要は、古い酒を新しい革袋に入れて新奇性を出そうとした訳で、上述した問題点はこの様な製作側の姿勢に端を発していたのだと言える。スピルバーグは原作の魅力をそのままに、この革袋の部分にアクチュアルなリアリティを確保する事で、現代に相応しいミュージカル映画へとアップデートさせた。61年版ではトニーとマリアが高らかに唄い上げるラブソング「Somewhere」を、ヴァレンティーナを含めた多種多様な人々が歌い継ぐ、というかたちに変更したのも、人種や宗教などといった対立軸を超えて異なる立場の人々が共存する光景を観客に示したかったからに違いない。
ただ肝心の酒の部分、プロットそのものについてはスピルバーグ版もオリジナル版に忠実で大幅な改変などは加えられていない。従って、61年版を観た人もある種の懐かしさと共に本作を楽しむ事ができるだろう。ただ、ミュージカルパートの演出という意味ではロバート・ワイズスティーヴン・スピルバーグの資質の違いが如実に表れていて面白い。スタティックな空間と構図を細かな編集で繋いでいくロバート・ワイズに比べ、スピルバーグは躍動的なカメラの動きによって、人や物の運動を広々とした空間へと解き放っていくのだ。それは、61年版ではビルの屋上で展開していた「America」の歌と踊りを、陽光の降り注ぐ街中へと舞台を変え、よりダイナミックなシーンに生まれ変わらせた事からも分かる。個人的には、ブロードウェイ版にならってトニーとベルナルドの決闘前に配置された「Cool」のシーンに感銘を受けた。ここでは、人から人へと手渡される拳銃の動きが、そのまま俳優たちの歌い踊る空間を形作っていく。この拳銃はラストシーンへと繋がる重要な小道具であり、このミュージカルパートは後に続く決闘シーンと合わせて、拳銃が誰から誰の手へ渡ったのかという、ストーリーを補完する説明的な役割も果たしているのだ。こうした経済的な演出こそがスピルバーグを一流の映画監督たらしめている事は言うまでもない。

 

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とはいえ、ロバート・ワイズスピルバーグはありとあらゆるジャンルの映画を撮れてしまう職人監督としてイメージが重なる部分もあるのだが。

 

リン=マニュエル・ミランダによるブロードウェイ・ミュージカル『イン・ザ・ハイツ』は『ウエスト・サイド・ストーリー』から明らかな影響を受けている。こちらはジョン・M・チュウによる映画版。以前に感想も書きました。