事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

デヴィッド・ロウリー『さらば愛しきアウトロー』

 

さらば愛しきアウトロー[Blu-ray]

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  • 発売日: 2020/01/22
  • メディア: Blu-ray
 

ロバート・レッドフォードという役者にあまり思い入れの無い自分にとっては、俳優引退作と言われてもあまりピンと来ないのだが、『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』のデヴィド・ロウリー監督という事もあり劇場まで足を運んだ。多くの人が指摘している様に、本作はクリント・イーストウッド監督『運び屋』と重なる部分がある。もちろん、イーストウッド『運び屋』を以て俳優業を引退する、とは発言していないが、年齢を考えればスクリーンで彼の姿を観るのはこれが最後かもしれない、という予感が観客の中にもあっただろう。その他、両作とも実話をもとにしているとか、高齢の犯罪者が主人公であるとか、シリアス一辺倒ではなく、コメディに振った作風であるとか、共通点はその他にもあるのだが、決定的に異なる部分がある。

私は『運び屋』についての感想の中で「時間の不可逆性」について述べた。映画が時間芸術(時間の推移のもとに表現・享受される芸術)である限り、その中で語られる物語は原則的に過去から未来へという方向性を意識せざるを得ない。ロードムービーであるなら、主人公は常に目的地に向かって進み続ける他なく、後戻りする事は許されない。『運び屋』の主人公アール・ストーンの行動を規定するのも映画的な不可逆性なのだ。

アメリカン・ニューシネマの寵児とも言えるロバート・レッドフォードの引退作に相応しく、70年代映画の空気感を再現しようと16ミリフィルムでの撮影を敢行した本作は、既に回帰的な作品と言えるだろう。そのざらついた粒子の粗い画質は、ノスタルジーと共にロバート・レッドフォード往年の傑作群を想起させる。しかし、そうした技術的ディテールはさして重要ではない。問題は、本作のストーリーそのものが同じ場所に回帰しようとする円環構造を伴っている事だ。

映画を観れば分かる通り、『さらば愛しきアウトロー』は驚くほど繰り返しの多い作品である。ロバート・レッドフォード演じる主人公フォレスト・タッカーが仲間たちと銀行強盗を決行する場面では、彼らのやり口がいつも同じである事が示されているし、恋人シシー・スペイセクとはいつも同じダイナーで食事をしている。そもそも、フォレスト・タッカーは青年期から何度も犯罪に手を染めては逮捕され、刑務所から脱獄してまた犯罪を繰り返す、という波乱万丈のルーティン・ワークとでも言うべき奇妙な人生を送ってきた事が示されている。犯罪の反復、という意味では『運び屋』と構造が似ているものの、アール・ストーンはこの様な反復を潔しとせず、不必要な寄り道を繰り返して雇い主の怒りを買っていた。フォレスト・タッカーはこの反復に喜んで身を捧げる。彼にとっては、定められたルーティンをいかにスマートにやり遂げるかがより重要な目標として設定されているのだ。

従って、逮捕され刑務所に入れられたアール・ストーンが静かにスクリーンから退場する『運び屋』とは異なり、『さらば愛しきアウトロー』はその先を描く事で円環構造をより強固なものとする。こうした円環構造は『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』でも顕著だった為、デヴィド・ロウリーの資質に由来するのかも知れないが、とりあえず俳優としてのロバート・レッドフォードは、自らのイメージを更新する事なく、アメリカン・ニューシネマのヒーローとしての自己イメージに回収されたまま引退する道を選んだのかもしれない。