事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ステファヌ・ブリゼ『ティエリー・トグルドーの憂鬱』

 

ティエリー・トグルドーの憂鬱 [DVD]

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映画の後半、同僚の不正を暴いたティエリーが、その同僚に「あなたも上司に報告するのか」と問い質される場面がある。ティエリーはその問い掛けに対し「わからない」と応じるのだが、このやり取りは私達を囲い込む市場経済の原理を端的に示している。ティエリーは、モニター越しに顧客や同僚の不正を見張る「眼」としての役割を負わされているだけであり、その対象について個人的な判断をする権利は与えられていない。資本主義経済において労働者は、与えられた役目をいかに忠実に果たせるか、という点だけを評価されるのであり、個人的な価値観に基づいた判断や行動は過剰なものとして排除されてしまう。彼は面接の場で履歴書の不備について指摘され、「この履歴書ではあなたがどの様な人物か伝わってこない」と難じられるのだが、企業側が知りたいのは当然、労働者の人となりなどではなく、彼が新しい職場でどの様な役割を果たすのか、言わば部品としてのスペックなのである。もちろん、こうした問題は正規の社員であろうとパートタイマーや契約社員といった非正規労働者であろうと同じ話なのである。高度資本主義社会が私たちを縛る堅個なシステムの中から人間性を取り戻す事がいかに困難であり、いかにイレギュラーな行為であるかを本作の沈鬱なラストは指し示している。