黒沢清『岸辺の旅』

岸辺の旅 [Blu-ray]

この映画の中で最も好きな場面は、浅野忠信とベッドに寝転がった深津絵里が、自らの恋愛遍歴を思い出し楽しそうに笑うシーンだ。深津絵里は当初、失踪した夫との関係でしか自分の人生を捉える事ができなかった。だからこそ、夫に愛人がいた事を知り、激しく動揺したのである。浮気の事実そのものではなく、夫が自分の知らない関係を他人と築いていた事が受け入れられなかったのだ。しかし、突如目の前に現れた夫の幽霊と彼岸の旅に出る事によって、彼が死後も様々な人々と関わりを持っていた事を知る様になる。それは、生死の境を越えた交流であり、やがて彼女もそうした関係性の中に取り込まれていくだろう。その時、彼女は自らもまた夫の知らない関係を他人と築いていた事に気付き、夫との真の別れを受け入れられる様になる。大切な誰かが目の前からいなくなっても、心の中に存在し続ける限り、その人との関係はこれからも更新されていく。生と死、存在と不在の境界が曖昧にぼやけた、その様な世界（＝岸辺）に私達は立っている。