事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

チャールズ・マーティン・スミス『ボブという名の猫2 幸せのギフト』

どん底の人生を送っていても、誰かを大切に思い幸せにする事はできる

2007年3月のある夜、麻薬に溺れ路上生活を送っていたジェームズは、ひょんな事から一匹の野良猫と出会う。なぜかなついてしまったその猫を彼はボブと名付け、仕方なく飼い始める。しかし、それが彼をどん底の人生から救いだす契機となるのだった―
ジェームズ・ボーエンと飼い猫ボブの友情を描いたノンフィクション『ボブという名のストリート・キャット 』は世界中に翻訳され、1,000万部を超える大ベストセラーとなった。その映画版『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』ではボブ役を本人(?)が務め、その愛くるしさに私を含む愛猫家たちは一斉に悶絶したのだがー約5年ぶりの続編となる本作の撮影終了後、2020年6月15日にボブはこの世から旅立ってしまう。だから『ボブという名の猫2 幸せのギフト』は、文字通りボブから私たちに贈られた最後の贈り物という事になる。
ところで、メンタリストのDaiGoはこの映画を観てどう思うんだろうね?と、いきなりそんな事を言いだしても分からない人が多いと思うので、2021年8月7日に彼が自身のYouTubeチャンネルで発言した内容をWikipediaから引用しておこう。

 

僕は生活保護の人たちにお金をはらうために税金を納めてるんじゃないからね。生活保護の人達に食わせる金があるんだったら、猫を救ってほしいと僕は思うんで。生活保護の人生きてても僕は別に得しないけどさ、猫は生きてれば得なんで。
猫が道端で伸びてればかわいいもんだけど、ホームレスのおっさんが伸びてると、なんでこいつ我が物顔でダンボール引いて寝てんだろって思うもんね。自分にとって必要のない命は軽いんで、ホームレスの命はどうでもいい。
いない方がいいじゃん。猫はでもかわいいじゃん。犯罪者殺すのだって同じですよ。群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きてるんですよ。犯罪者が社会にいるのは問題だし、皆に害があるでしょ。だから殺すんですよ。同じです。
ホームレスって言っちゃ悪いけど、どちらかっていうといない方がよくない?皆確かに命は大事って思ってるよ。人権もあるから、形上、大事ですよ。でもいない方がよくない?正直。邪魔だし、プラスになんないし、臭いし、治安悪くなるし。

 

DaiGo氏は普段から保護猫活動に熱心らしいのだが、この発言を読めば、彼は猫が「かわいい」「得」「利益」と感じるから大切に扱っているに過ぎない事が分かる。その逆に「邪魔」「利益にそぐわない」と見做したホームレスについてはいない方がいい、と彼は断じてやまない。すると、ヤク中のホームレスと可愛い猫の友情を描いたこの映画などはこの世で一番見たいものと見たくないものが同居している訳で、DaiGo氏にとっては理解しがたい作品と言えるだろう。いや、本作の主人公ジェームズは路上生活者の立場から大ベストセラー作家にまで成り上がったのだから、もしかするとDaiGo氏にとっては「頑張っている人」として例外的に扱われるのかもしれない。SNSでの炎上を受けて公開された彼の謝罪の言葉を再び引用する。

 

一生懸命、社会復帰を目指して生活保護を受けながら頑張っている人、支援する人がいる。さすがにあの言い方はよくなかった。差別的であるし、これは反省ということで謝罪させていただきます。大変申し訳ございませんでした。

 

DaiGo氏は本作に登場する、イヤミな動物福祉担当員にそっくりだ。苦境にあえぐ人々を、自己中心的な物差しで評価し、「不必要」「害」という烙印を押し付ける。そして、自分が社会にとって「必要」な存在だと安心するのだ。
そんな馬鹿はいないとは思うが一応断っておくと、猫のおかげでホームレスが救われたからといって、やっぱり猫の方がホームレスより有用なのだ、などという事をこの物語は言いたい訳ではない。そして、ジェームズが成功したのは彼が「頑張っている」からだ、だからお前も頑張れ、などと説教臭い結論を用意している訳でもない。いくらどん底の状態にいる人間にだって、誰かを大切に思い、幸せにする事はできる。ボブが教えてくれたのはそんなささやかな事実で、その温かなメッセージが今を生きる私たちの背中をそっと押してくれる。

 

あわせて観るならこの作品

 

シリーズ1作目は『ターナー&フーチ/すてきな相棒』を手掛けたロジャー・スポティスウッドが監督。かたやチャールズ・マーティン・スミスは『イルカと少年』という作品を手掛けている訳で、やっぱり動物映画つながりで監督を選んだのだろうか。