事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

キャリー・ジョージ・フクナガ『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』

本作は確かにジェームズ・ボンドの物語だが、ボンド映画とは言えない

当初は2020年2月に公開予定だったこの映画、新型コロナウイルスの影響で何度も延期され、ようやく陽の目を見たのが何と2021年の10月である。当然、映画はとっくに完成していたので、映画館では1年以上にわたって公開日未定の予告編が流れ続ける、という異常事態に陥っていた。ソニー・ピクチャーズに代わって、国際配給権を獲得したユニバーサル・ピクチャーズとしては世界的大ヒットを期待していただろうし、中途半端な規模で公開をしたくなかった、というのも分かる。それにしたって、あれだけ予告編ばかり見せられると些か食傷気味になるのも仕方がない。私などいつの間にか本編を観た気になっていたので、公開が決定したと知って驚いたぐらいだ。そういえば現在、映画館で流れている予告編の最後には、主演のダニエル・クレイグから日本の観客に向けたコメントが付け加えられているが、それが変に薄暗い部屋の中で撮られた映像で、心なしかクレイグの顔色も悪い。もしかすると、彼はユニバーサル社に拉致監禁され、これからもジェームズ・ボンドを演じる様に強迫されているのではないか?
それはともかく、本作は2006年の『007/カジノ・ロワイヤル』から続いてきたダイニエル・クレイグ主演の「ジェームズ・ボンド」シリーズ最終作となる。本来は前作『007/スペクター』でクレイグは降板する予定だったが、映画会社の説得により1作に限り続投する事となった。何となく、初代ジェームズ・ボンド役だったショーン・コネリーが1作だけ復帰したシリーズ第7作『007/ダイヤモンドは永遠に』を思い出させるが、そういえばMI6を引退し恋人と車に乗って走り去る『007/スペクター』のラストがシリーズ第6作『女王陛下の007』に似ていたのも何やら符牒めいたものを感じさせる。とはいえ、あくまで軽妙洒脱なスパイ映画を目指した『007/ダイヤモンドは永遠に』と、重厚長大な作風を目指した本作では方向性は全く異なるのだが。
で、本作の評価はまさにそこに掛かっているのではないかと思う。ダニエル・クレイグの主演最終作にして、これまでの集大成という役目を背負った本作は、小粋な会話と破天荒なアイデア、ド派手なアクションを売りにしてきたボンド映画のフォーマットを逸脱し、ひとりの苦悩する人間としてジェームズ・ボンドを描いている。物語が後半に進むに従ってストーリーは陰鬱さを増し、スパイ映画的な要素は後景に退き(ボンドもののどこがスパイ映画なんだ、と言われればそれまでだが)、ボンドとヒロインのマドレーヌ、そして悪役のサフィンが織りなす奇妙な人間ドラマへと移行していく。もちろん、ダニエル・クレイグが主演を務める様になってから、ボンドの内面描写に重きを置く傾向は度々見られはしたが、本作ではそれがボンド映画としてのバランスを崩すまでに拡大しているのだ。従って、本作の予告編を見て「うひょーこれは面白そう!」と思った方は、十分にご注意いただきたい。実は、本作のボンド映画としての面白さは予告編で紹介されたシーンでほぼ尽きており、しかもそれが映画の前半に集中しているのだ。えちえちなドレスを着た アナ・デ・アルマスがアサルトライフルをぶっ放す姿には皆が心を躍らせたと思うが、彼女の出演シーンは少なく、早々に物語から退場してしまう。そして、中盤から終盤に掛けては辛気臭い人間ドラマがひたすら続く。
更に言えば、そのドラマパートも非常に抽象的で分かりにくいのだ。それはひとえに悪役サフィンの掘り下げが足りてないせいだろう。「スペクター」傘下のミスター・ホワイトに家族を殺害された過去を持つ彼は、恣意的にターゲットを選択して殺害できる細菌兵器(この兵器を作ったのが実はMI6だった、というのは最後までモヤモヤする点だった)を使って「スペクター」構成員を皆殺しにしてしまう。確かに、やってる事はすごいのだが、肝心のサフィンのキャラクターが変なお面を被ってスカしているだけで、その凄惨な過去についても具体的な描写がほとんど無いので恐ろしさが今ひとつ伝わって来ないのである。だから、サフィンとボンド、マドレーヌのねじれた関係性も非常に曖昧で飲み込みづらい。サフィンという悪の存在がボンドやマドレーヌの内面に深く食い込み、それが彼らの離別を決定づける、というのが本作のプロットの肝要なのに、その過程が最後まで上手く描けていない様に思った。
という訳で、何か文句ばかり書き連ねてしまったが、これが2020年の2月に公開されていれば十分に満足できていたかも知れない。何しろ実際に作品に触れるまでに何十回と予告編を見てきたので、こちらの期待が膨れ上がってしまった面もあるだろう。ジェームズ・ボンドの有終の美を飾りたいあまり、力が入り過ぎて空回りした部分は否めないが、それでも2006年から私たちを楽しませ続けてくれたダニエル・クレイグを始めとする製作陣には感謝しかない。

 

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前作から引き続き登場するキャラクターも多いので、せめてこれぐらいは観ておいた方がいいかと。