事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

サメフ・ゾアビ『テルアビブ・オン・ファイア』

まず、歴史的事実を確認しておこう。第1次大戦後にイギリス委任統治領として創設されたパレスチナは、当初はアラブ人を中心とする国であった。しかし、第2次世界大戦後にユダヤ人が大量に流入してくる様になる。結果、シオニズムに押された国連でパレスチナ分割決議が採択された事により、パレスチナ内にイスラエルが建国されるに至るのだが、それに反発したアラブ諸国イスラエルの間で始まったのが第一次中東戦争である。戦争に勝利したイスラエルパレスチナの8割を占領し、ユダヤ人に押し出される形で多くのアラブ人が難民化してしまう。行き場を失ったアラブ人はイスラエルの支配を逃れたガザ地区やヨルダン地区に集まるに様になるが、アラブ人の自治区を認めないイスラエルとの間で何度も戦闘が繰り返されてきた。
この不毛な争いに終止符を打とうと、アメリカの仲介によって為されたのが映画の中でも語られている1993年のオスロ合意である。この合意によって、イスラエル国内のパレスチナ自治区が正式に認められる事になった。しかし、和平に向けた両者(両国)の協議は難航し、その間に非PLO系過激派組織によるテロや軍事行動が繰り返される事になる。結局、和平交渉は暗礁に乗り上げ、2005年に停戦合意が為されたものの、未だ両者の緊張関係は継続している。
本作の主人公サラームは、イスラエルで生まれ育ったアラブ人である。彼はテレビドラマを制作している叔父の仕事を手伝いに、毎日パレスチナ自治区へ出掛けていくのだが、その度に両地域を分かつ検問所を通らねばならない。ある日、イスラエル軍司令官アッシに尋問を受けたサラームは、自分が人気ドラマ「テルアビブ・オン・ファイア」の脚本家であると嘘をつく(実際はヘブライ語のアドバイザー兼雑用係に過ぎない)。
ここが面白いところなのだが、アラブ人によって製作されたこのドラマは、イスラエルでも放映されていてかなりの人気を博しているのだ。イスラエル軍に所属するアッシも、その内容を反ユダヤ的だと非難する一方で、ドラマの熱狂的なファンである妻の関心を買う為に、自分のアイデアを脚本に盛り込む事をサラームに強要する(わざわざ自分で脚本まで書いてくるところがおかしい)。ところが、アッシにはたまたま脚本家としての才能があり、彼のアイデアを取り込んだドラマは更なる人気を呼んでしまう。アッシのアイデアを拝借していたサラームは、徐々に叔父の信用を得て、本当にドラマの脚本家に任命されてしまうのだが…
この映画、もちろんコメディとして撮られているのだが、冒頭で述べた通りイスラエルパレスチナの複雑な政治状況が背景となっている。軍事的衝突や差別といったネガティブな問題を抱えながら、文化的な交流も少なからず存在する訳だ(イスラエル軍司令官のアッシは自宅でパレスチナ制作のTVドラマを鑑賞し、アラブの郷土料理フムスが大好物だったりする)。幼い頃からイスラエルの文化に触れて育ってきたアラブ人のサラームは、相反する価値観の間で板挟みとなり苦悩する。期せずして、彼は自らが脚本を手掛けるドラマの主人公である女スパイ、ラヘルと同じ立場に立たされる事になるのだ。当初はアッシュのアイデアを借りていただけのサラームが、一人前の脚本家として成長する事ができたのは、まさにそのおかげである。
アッシュは、アラブが送り込んだスパイであるラヘルがイスラエル高官のイェフダと恋に落ち、結婚するラストに脚本を変更せよ、とサラームに命ずる。この結末が、(作中で例えられる通り)オスロ合意の如き偽善的なものに過ぎないのは言うまでもない。その様な仮初めの「和解」が為されたとしても、両者の間での争いは絶える事なく、新たな血が流れる運命にあるのは歴史が証明しているからだ。代わりに、サラームが示した結末はユダヤ人とアラブ人の対立や差異をアウフヘーベンしようとするものである。その発想に観客は驚き、爆笑する。しかし、この素晴らしいエンディングを現実にどう置き換えるか、と考えると再び暗澹とした気持ちに戻ってしまう。私たちは、このドラマの登場人物の様な「愛」に未だ辿り着いていないのだ。アイヌ新法をめぐる醜悪な言説を見れば分かる通り、それは中東世界だけの問題ではない。

 

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国境で交わされる、立場を異にする者たちの友情を描いた作品、という事で。

 

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パレスチナイスラエルの深刻な対立を背景に、ミュンヘンオリンピック最中に起きた「黒い九月事件」とその後の報復事件を描いたスピルバーグの傑作。