事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

トッド・フィリップス『ジョーカー』

 

個人的に、この監督の出世作ハングオーバー!』シリーズは大嫌いである。私は酒が全くと言っていいほど飲めないし、我を忘れるぐらいに酔った経験もないので、こういう酔っぱらってやらかしちゃいました、みたいな話はただただ不快な気持ちになるだけだ。それなのに、酒を飲めなきゃ男じゃない、とか羽目を外してなんぼ、みたい風潮が世の中に未だにあるのか、酒の失敗を肯定的に描いているのが腹立たしい。こんな映画を作った奴らも、それを観て喜んでいる奴らも全員アル中になって死ねばいいのに、とさえ思う。

だから、『ジョーカー』の監督がトッド・フィリップスだと聞いて、どうせ大した映画じゃないんだろ、と全く興味を持てなかった。そもそも『バットマン』にそれほど思い入れがある訳でもない。ティム・バートン版とクリストファー・ノーラン版はいちおう観てるし、ビデオゲームアーカムシリーズもプレイしているが、どちらかと言えば、ここ最近のアメコミ映画ラッシュを苦々しく感じているぐらいだ。個別の映画の出来云々ではなく、皆が揃って同じ映画を観て喜ぶ、という風潮が気持ち悪い。そんな事を言ったら、全てのヒット作がそうじゃないか、という事になるが…この手のユニバース作品群に漂うお祭り感というか、アメコミ原作の映画を1本でも観に行ったが最後、興味もないイベントに無理やり参加させられた気になってしまうのが嫌なのだ。どうでもいい奴らがどうでもいい話をしているのに付き合って、こっちも楽しんでいるふりをするほど屈辱的な事はない。映画を観るという体験はもっと個人的なものであるべきだ。低能なカップルがイチャつきながら観ている映画なんて全て滅べ!馬鹿が群れ集うシネコンに火をつけろ!
…とまあ、こういう事を書くと「不謹慎だ」と言い出す輩が現れる。「映画を楽しんでいるだけの人達を単に自分と趣味が合わないという理由で悪しざまに罵るなんて、あなたは可哀そうな人ですね」などとしたり顔で諭し始める。いや、これは冗談なんですよ、半分本気ですけど、などと言い訳すれば、人を傷つける冗談なんて笑えない、と眉を顰める。お互いがお互いを監視し牽制しあって、異質なもの、過剰なものを排除しようとする時代なのだ。この時代、この国で生きている事が苦痛でしかたないから酒でも飲んでふて寝するしかない。
本作のジョーカーは、この閉塞した世界に異和を覚え、真の「笑い」だけが持つ暴力性を取り戻そうとするトリックスターである。彼は、人々が全く笑えない場面では腹を抱えて笑うくせに、人が大笑いしているコメディアンの舞台を観ても何が面白いのかさっぱり分からない。まさに怪演と言うべきホアキン・フェニックスが起こす場違いで突発的な笑いを、彼や周囲の人々は精神的な病のせいだと認識しているが、勿論そんな筈はない。この「笑い」のずれこそが、彼が世界から疎外され徹底して孤独である事の象徴なのである。世界と自我が矛盾する時、人々は利己的な欲望を抑え込み、周囲と折り合いをつけて心の安定を図ろうとする。では、その様な妥協を自分に許さない者はどうすればいいのか。自我に合わせて世界を作り替えるしかないだろう。それは、全てをカオスへと導く行為でもある。ジョーカーが目指すのはこのカオスそのものなのだ。社会からあらゆる秩序が失われ、人々の欲望が世界を覆いつくした瞬間、初めてジョーカーの「笑い」と人々の「笑い」が呼応する。
「マーベル映画なんて映画じゃない」と言い放ち物議をかもしているマーティン・スコセッシ(大賛成!)の『キング・オブ・コメディ』のラストでは、誘拐した大物コメディアンの解放と引き換えに、TVショー出演を果たした主人公パプキンが、出所後に人々から祭り上げられ、本当のスターになっていく姿が描かれるが、『ジョーカー』のクライマックスはここにヒントを得たものだろう。個人的な妄想や狂気が大衆を喜ばせるエンターテインメントになり得る可能性をスコセッシは示した。暴動によって燃え盛る街並みを美しい、と呟きながら見惚れるジョーカーは、まさに彼が抱える異和そのものによって人々を楽しませる、真のエンターテイナーとなったのである。映画の最終盤、車のボンネットに寝そべる彼の姿に、磔刑に処されたイエス・キリストのイメージが重なるのも当然だ。キリストこそ、「神」という娯楽を人々に与えた人類史上最大のエンターティナーだったのだから。
 
あわせて観るならこの作品

 

この映画でヒース・レジャーが演じたジョーカーは、まさにカオスを体現する様な存在だった。今作のホアキン・フェニックスの演技にも影響を与えていると思う。

 

マーティン・スコセッシロバート・デ・ニーロがタッグを組んだ傑作。下着泥棒の方じゃないよ。デ・ニーロが演じたマレー・フランクリンは、ルパート・パプキンのその後、というイメージである。ジョーカーに「弱者を笑いものにしている」と非難されたマレーが「俺の事を何も知らないくせに」と返すのは、この作品を念頭に置いたデ・ニーロのアドリブだろうか。