事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

スティーヴン・フリアーズ『マダム・フローレンス! 夢見るふたり』

 

子供の頃、私は漫画家になりたかった。しかし、どうやっても左向きの顔を上手く描けない事に気付いて、いつの間にか諦めてしまった。夢は信じていればいつかかなう、と誰もが簡単に口にするが、実際のところ、自分の夢を実現できるのはほんのひと握りの人々だけで、ほとんどは才能という壁にぶつかって失意を味わうことになる。しかし、この映画のマダム・フローレンスは父から受け継いだ莫大な資産でもって、その壁を乗り越えてしまう。いや、正確には乗り越えさせられると言った方が正確だろうか。彼女はあくまで自分に才能があると信じ込んでいて、ケイリー・グラント演じる夫が妻を傷つけまいと(自身の浮気の罪滅ぼしという側面もある)、コンサートを開く度に評論家を買収し、大量のサクラを動員していたのだ。この夫の態度に疑問を抱く人もいるだろう。劇中で評論家が難詰したように、それは才能なき人々に対する独りよがりで残酷な仕打ちなのかもしれない。それでも、マダム・フローレンスには確かに才能があったのだ。人々が彼女のレコードを求め、コンサートに詰めかけたのは、単に音痴を笑いものにする為だけではない。音楽に救いを見出した1人の人間が、そのお返しとして音楽で誰かを救おうとする、その真摯な態度に心を打たれたからではないか。類まれなる音痴を完コピしつつ、その歌声で圧倒的な感動をもたらすメリル・ストリープの演技が素晴らしい。