事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ネメシュ・ラースロー『サンセット』

 

サンセット [DVD]

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前作『サウルの息子』は、その特徴的なカメラワークが印象に残る作品だった。カメラは常に主人公に寄り添って動き、遠景ショットはほとんど挿入されない。カメラの焦点も主人公へ極端に合わされている為、風景はいつもピントがボケている。この、背景を捨象した様な映像が、アウシュビッツ収容所でゾンダーコマンドとして生きるしかなかった主人公の孤独感をいっそう引き立てていた。同胞たちの死体や血で埋め尽くされた地獄の中で、その同胞たちを死へと追いやる仕事に従事せねばならない。ここで生き永らえるには、外部の情報を自ら遮断し、ただ機械の如き存在として在り続けるしかないだろう。主人公サウルにとって、自らの生の背景となるべき現実など存在しないのである。

さて、『サンセット』である。この映画は『サウルの息子』とは時代も舞台設定も何もかもが違う。1913年のオーストリア=ハンガリー帝国の首都、ブタペスト。かつては両親が経営し、今は人手に渡ってしまった高級帽子店に、主人公イリスが仕事口を求めて訪れる場面から始まる。店のオーナーにすげなく断られても諦めようとしないイリスの態度は、観客の目にはいささか奇妙に映る。やがて、イリスは自分に兄がいた事、今は伯爵殺しの罪で逃亡中だという話を聞き及び、兄の居所を求めてブタペストの街を彷徨する。

本作を無理やり既存の映画ジャンルに当てはめるなら、ミステリー調の歴史ロマンという事になるだろう。ならば、時代を再現した華麗な衣装やセットを観賞するのも映画を観る楽しみのひとつとなるはずだ。しかし、ネメス・ラーシュローは本作を『サウルの息子』と全く同じ手法で撮影している。だから、没落を間近に控えたオーストリア=ハンガリー帝国の首都ブタペストの街並みは、終始ピントのぼけた状態でしか映らず、常に主人公を後ろから追いかけていくカメラワークのせいで、映画の大部分で主人公の後頭部が映り続けるという、ある種異様な映像になっている。

ミステリーとしてのストーリーテリングもかなりいびつな作りになっていて、主人公が何を尋ねても人々は要領を得ない答えを繰り返すばかりだし、そもそも主人公が何を考えて行動しているのかさっぱり分からないので、観客はストーリーが進行しているのかどうかすら判断できない。

曖昧な映像と曖昧な筋書きが続く映画の中において、暴力の描く軌跡だけがひときわ鮮烈なイメージを残す。当時のブタペストは、特権階級として君臨していた少数の貴族に対する不満が高まっており、各地で暴動が頻発し、多民族国家としての歪みが国を崩壊寸前にまで追いやっていた。血と暴力のイメージに溢れた黄昏の街で、イリスはまだ見ぬ兄を求めて彷徨い続ける。彼こそがテロリスト達の首謀者だという噂が飛び交う中、最後まで兄カルマンは姿を見せない。いったい、本当にイリスの兄は存在したのだろうか。それは、サウルの息子と同じくほとんど虚構に近い存在である。暴力の頻発する世界の中で、自らの存在を確かめる為に虚構を信じ、また演じ続ける事。『サンセット』と『サウルの息子』はその点で一致している。

もちろん、人々は誰しも自分だけの虚構を信じ、それに衝き動かされていく。思えば、第一次世界大戦の端緒となったサラエボ事件も、人々を殺りくへと導く為の大掛かりな虚構だった。

 

あわせて観るならこの作品

 

サウルの息子 [Blu-ray]

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あまりにも恐ろしく哀しい傑作。以前に感想も書きました。

 

サンライズ クリティカル・エディション [DVD]

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これと対になる作品、と監督は言っているが…