事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ベンジャミン・ターナー他『メイキング・オブ・モータウン』

スティービー・ワンダーマービン・ゲイジャクソン5などを輩出し、アメリカのみならず世界中のポップ・カルチャーに多大な影響を与えたレーベル、モータウンが創立60周年を迎えた。それを記念して作られた本作では、モータウンの創設者であるベリー・ゴーディと、稀代のヒットメーカーだった盟友スモーキー・ロビンソンがその歴史的変遷や創作秘話について自ら明かしてくれている。更にスティービー・ワンダーテンプテーションズジャクソン5といった面々も登場して当時の思い出を語ってくれるのだからファンにはたまらない1作だろう。もちろん、私もモータウンサウンドは大好きな口なので大いに楽しんだ。
ベリー・ゴーディモータウン設立前、ボクサーやレコード店主など、一獲千金を夢見て職を転々としていたらしいが、その中でも自動車工場の製造ラインで働いていた経験が音楽産業に身を転じた後でも役に立ったという。つまり、自動化されたラインの上で部品が次々と組み合わされ、ピカピカの新車となっていく様に、芸能分野でもアーティストに歌や踊りのみならず、化粧や服装、立ち居振る舞いまで徹底的に教え込んでいく事で、常に一定の品質を伴ったスターを量産できるのではないか、と考えたのである。というと、何か非人間的な行為に聞こえるかもしれないが、もちろん相手は機械ではなく人間なのだから、様々なイレギュラーは発生するだろうし、そもそも品質が高いからといって必ずヒットすると限らないのはどの分野でも同じだろう。そこで、モータウンでは楽曲のリリースについては極めて民主的な審査プロセスを設けている。所属のソングライターが曲を完成させると、まずその曲が社内会議に掛けられ、ヒットするか見込みがあるかどうか、闊達な議論が行われる。会議の結果、多数の賛同を得られないと、いくら優れた楽曲であろうとリリースできない。会議には職種や人種、男女の別なくあらゆる社員が参加し自由に発言する事ができた。当時はもちろん、現在でもここまで風通しの良いガバナンスを確立している企業は稀だろう。特に、普段は社員の経営への参加を促しておきながら、肝心なところでは自分の一存で決めて役員もそれを追認するだけ、従わない社員がいると俺の言う事が聞けないのかとか何とか、半狂乱になって泣きわめくハゲ散らかした親父の経営する、私の勤務先とはえらい違いである。ま、私も勤務中にこうやってブログの更新をしている、スティーヴィー・ワンダーマービン・ゲイとは比べようもないクズ社員だからどっちもどっちなのだが…
そんな事はどうでもいいとして、このモータウンが確立したスター・システムは日本の芸能界にも大きな影響を与えたと思う。その代表格があのジャニーズ事務所だろう。ジャニー喜多川モータウンサウンドのファンであった事は周知の事実だが、何より才能を見出した小中学生をジャニーズJr.として入所させ、長い年月を掛けてスターへと育てあげる、という教育システムは、まさにモータウンのそれを参照したと考えられるからだ。
作中でベリー・ゴーディが語っている様に、こうした育成プロセスには当然、莫大なコストが掛かる。企業側は将来そのアーティストが稼いでくれるであろう利益をあてにして投資を行っている訳だ。モータウンにしろジャニーズ事務所にしろ、成長したアーティストの独立について極めて厳しい態度で臨んでいるのも致し方ない面があるのだろう。ジャニーズ事務所の場合、アーティストの結婚といった私生活まで管理して品質を維持しようとしている訳だ。
しかし、アーティストを緻密な設計と厳格な品質管理によって作り上げた工業製品として捉えてきたモータウンも、70年代以降は、スティーヴィー・ワンダーマービン・ゲイといった才能あふれるアーティストに作品のプロデュース権をを与えざるを得なくなっていく。それは、モータウンの特徴であった民主的な決定プロセスを手放す事でもあったのだが、そうした方針転換をもたらしたのが、60年代後半から70年代、という政治の季節における民主主義的な圧力であった、というのはなかなか皮肉な話である。

 

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