事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

青山真治『空に住む』

多部未華子岸井ゆきのが共演するというから、今泉力哉の新作かなと思って観に行ったところ、何とびっくり、青山真治の7年ぶりの新作だった。コロナ禍の影響で公開が延期となった今泉監督の『街の上で』と混同していたらしい。それにしても、青山真治黒沢清の新作が同時期に公開される、というのは何とも嬉しい驚きである。
この映画の原作となった『空に住む〜Living in your sky〜』は、EXILE藤井フミヤへの作品提供で知られる作詞家、小竹正人による初めての小説で、三代目 J Soul Brothersの主題歌CD付き書籍として発売され話題になった。今回の映画化にあたっては、三代目 J Soul Brothersの岩田剛典も出演している。参考までに、原作小説のプロローグを引用しておこう。

 

私は空に住んでいる。
ちっぽけに、
まるでオモチャみたいに東京の街が広がるパノラマの上空。
夢幻と現実の狭間を漂っているような気持ちになる青の住処。
背中に羽が生えているわけでも、
死んだわけでも、
戯言を言っているわけでもない。
少し長くなるけれど、
まずは私が此処に住むことになった経緯を知ってほしい。
だって私は、
本当に空に住んでいるのだから。

 

―事故で両親を亡くした直美は、姪を心配する叔父が用意してくれたタワーマンションに飼猫ハナと共に移り住む。彼女の部屋は東京の街が眼下に見渡せる高層階に位置していた。まるで空に住んでいる様な、現実感のない日々を送る直美。だがある日、同じマンションの住人である人気俳優、時戸森則に出会った事でその運命は大きく変わっていく―
ここまで読んで、「ケッ!こんな小説、誰が読むか!アホらしい!」と思われた方がいるかもしれない。私も同じ口で、試しに小説の冒頭部分をKindleの無料サンプルで読んでみたが正直な話、頭が痛くなった。もうとにかく、自分の考えた設定をさっさと読者に共有させたい、と言わんばかりの性急さで、主人公の生い立ちやら人となりを冒頭からガンガン説明してくるのだが、そこに具体的な挿話とかディテール描写がある訳でもないので、本当にただの説明文なのである。小説というより、何かの設定資料集を読んでいる気にさせられた。
仮にも、三島由紀夫賞受賞作家でもある青山真治がこの小説をどう読んだのかは知らないが、当然ながら映画化にあたってはそれなりの脚色を行っている。最も大きいポイントは、主人公の仕事についての描写だろう。直美が中小出版社で働いている事は原作ではそれほど大きく扱われていないが、映画版ではその細部を膨らませる事で、主人公の生活にはっきりとした輪郭を与えている。更に、直美の住むタワーマンションと対比させる為だろう、職場を東京郊外に建つ平屋に設定した事も大きい。この改変により、直美は「空に住む」だけでなく「地で働く」存在に変わったからだ。
もうひとつ大きいのは、直美の仕事をめぐる描写を強化していく過程で、彼女の同僚として木下愛子というキャラクターが生み出された事だろう。岸井ゆきの演じるこの女性は、不倫相手の子を身ごもったにもかかわらず、それを隠したまま他の男と結婚しようとしている。それはほとんど理由のない、自己破壊的な行為としか思えないのだが、合理性を一切欠いた愛子の言動に、直美はシンパシーを感じている様だ。なぜなら、直美も自分がいったい何を望んでいるのか、何の為に生きているのかを見出せず、たまたま知り合った時戸森則と夜毎の逢瀬を重ねるのも、愛子と同じく不可解な衝動に駆られた結果だからである(もちろん、相手が超絶イケメンだから、というのもあるだろうが…)。
次に、中盤以降の展開について原作小説と映画版の違いに触れておく。原作も映画版も、直美の愛猫ハナの死が物語のターニングポイントとなっているのは同じだ。心の拠り所だったハナの死によって直美を虚無が蝕み始め、彼女は徐々に追い詰められていく。まあ、よくある話といえばその通りで、最終的には直美が立ち直り、自分を取り戻すに至って「希望と再生の物語」としての『空に住む』は幕を閉じるのだが、原作で直美が立ち直るきっかけとなったのは、叔母である明日子のビンタとありがたいお説教である。その内容については触れないでおく。まあ真っ当な正論というか、落ち込んでいる人間が一番聞きたくない類の、手垢にまみれた人生訓としか思えないのだが、この手の小説のご多分に漏れず、直美は叔母の言葉に救いを見出し、生まれて初めて心から泣く事ができたのだった…めでたしめでたし。
実際の話、この明日子の長いお説教こそが原作のハイライトであり、作者である小竹正人のメッセージそのものだと思うのだが、映画版ではこのくだりを容赦なく削除し、むしろ明日子を直美と同じく、タワーマンションでの豪奢な生活に自分を見失っている存在として描いている。従って、明日子に直美を救う事はできない。それでは、直美はどの様にして哀しみを乗り越えるのか。彼女を再生に導くきっかけは何なのか。それは、この世を去った愛猫と入れ替わる様に誕生した愛子の子供でも、永瀬正敏演じるペットの葬儀屋の語る謎めいた言葉でもない。直美を立ち直らせるのは編集者としての彼女自身の仕事、つまり一冊の本を作る事なのである。ここに至って、映画の序盤から直美の仕事を、出版会社の業務を細やかに描いてきた事が活きてくる訳だ。
小竹正人による原作は非常に生活感の希薄な、フワフワした小説である。それは少々現実離れした設定によるというより、そもそも小竹正人に登場人物たちの日々の暮らしを生き生きと描く技量が無かったからなのだが、青山真治による映画版は原作の空気はなるべく引き継ぎつつ、仕事やもの作りについての細やかなディテール描写によって補強する事で、地に足の着いた映画に仕上げていると思う。当たり前の話だが、作品そのものが空に浮いている様なつかみどころのない代物では面白くも何ともないのだ。久しぶりの復帰作にしては、あまり自分の色を出す事の出来ない難しい題材だったと思うが、その分、青山真治の職人監督的な手腕を堪能する事ができた。

 

あわせて観るならこの作品

 

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青山真治らしさが無い、と書いたが、20代の女性のランチタイムの会話の中で、唐突にこの映画のタイトルが出てくるのはさすがに頭がおかしいと思った。 

 

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そういえば、青山真治2011年の監督作『東京公園』でも、榮倉奈々に「ねえ、『ゾンゲリア』って観た事ある?」という台詞を言わせているのだった。そんな女いねえっつーの。