事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ジョーダン・ピール『NOPE/ノープ』

映画史から抹殺された者たちによる西部劇奪還の試み

ジョーダン・ピールの仕事は映画、ドラマ共に大部分をフォローしているつもりだけど、この『NOPE/ノープ』に至ってはうーむ、端倪すべからざる人になっちゃったなあ、という印象。
本作のテーマは序盤からはっきりと、主人公の妹エメラルドの口から語られる。写真家エドワード・マイブリッジが撮影した疾走する馬の連続写真―エジソンがキネトスコープを発明する以前にまで遡り「馬に乗る黒人」から始まった筈の映画がやがて「馬に乗る白人」に奪われてしまった歴史を明らかにする事。つまり、これは黒人側からの「西部劇」奪還の試みなのだ。主人公たちが空から襲い来るモンスターから逃げようともせず、かと言って戦おうともせず、あくまで「撮影する事」にこだわったのはそのためだろう。
では、白人に主役の座を奪われた黒人たちはどの様な役割で映画に登場するのか。それを端的に示しているのが、劇中で語られる『ゴーディ、家に帰る』のエピソードだろう。このホームコメディに出演するチンパンジーの様に、黒人たちは白人に従順な愛玩動物としてのみ、映画に出る事を許される。人気者だったチンパンジーが突如、白人たちに襲い掛かり多くの血が流されるこのエピソードは2009年に起きた実際の事件を元にしている様だが、ペットに過ぎない筈のチンパンジー=黒人が飼主に牙を剥くなど決して許される事ではない。黒人作家ジェームズ・ボールドウィンは言う。「白人が『自由か死か』と叫べば英雄になれるが、黒人が同じ事を叫べば断罪される」と。自由を求め、仲間と連帯しようと手を伸ばした瞬間に射殺されるチンパンジー、ゴーディの運命は現代に至るまで続く黒人たちの苦闘を象徴している。
以上の通り、アメリカ社会における人種問題をジャンル映画という枠組みの中で描くジョーダン・ピールの試みは、本作においても健在だ。ただ、『ゲット・アウト』の様に白人を悪役として描き、黒人が日々感じている恐怖をホラー映画のそれとリンクさせている訳ではない。その様な単純な方法論を、ジョーダン・ピール『アス』において既に乗り越えている。黒人として初めてアカデミー主演男優賞に輝いたシドニー・ポワチエが監督した西部劇『ブラック・ライダー』にオマージュを捧げながら、結局は有色インディアンを敵役にせざるを得なかったポワチエの限界を、ハリウッド製西部劇の限界として位置づけ、インディアンも銃すらも登場しない新たな西部劇像を提示する事。それこそが黒人たちによる西部劇奪還の試みであり、ハリウッド史に対する痛烈な批判なのだ。
ホイテ・ヴァン・ホイテマの手によるダイナミックな撮影もまた、西部劇としての本作の妥当性を担保している。やがて、主人公が神々しい光に包まれるラストシーンにおいて、私たちは「馬に乗る黒人」から始まったアメリカ映画史を再発見する事になるだろう。

 

あわせて観るならこの作品

 

様々な先行作にオマージュを捧げた本作だが、UFOの到来を現代における神話として描こうとした点において、M・ナイト・シャマランの傑作『サイン』を想起させる。