事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

マイク・ミルズ『カモン カモン』

未来はいつでも謎めいた顔つきで私たちをさし招く

2児の父となった今でも、私は未だに自分の感情をコントロールできずにいる。時に、怒りや不安の矛先を子供に向ける事もあって、その度にひどく落ち込んでしまう。大人たちはいつも、自分の子供とどう向き合えばいいのか分からない、という悩みを抱えていて、それはきっと、自分自身とどうやって折り合いをつけていくか、という問題と重なるのだろう。もちろん、その問いに明解な回答が与えられる事はないのだけれど、だからといって問いかけるのを止めてしまえば、私たちは生涯、自分と子供たちに嘘をついて生きていくしかなくなるだろう。
マイク・ミルズの映画はいつも個人的でささやかな体験から物語を始める。私たちは、そのユーモラスで瑞々しい語り口が紡ぐ、少し風変わりな家族の物語に惹きこまれていく内に、この映画が今スクリーンを見つめている自分の事を描いているのだと気づき、心の中にため込んでいたものが少しずつ軽くなっていく。「家族とはどうあるべきか」「親としての理想の姿とは」なんて結論めいた事をマイク・ミルズは決して言わない。『人生はビギナーズ』の父親も『20センチュリー・ウーマン』の母親も、とても理想的な親とは言えないだろう。彼らもまた、人生の複雑さに悩んでいて、その姿はそれぞれの息子たちとちっとも変りはしない。『人生はビギナーズ』や『20センチュリー・ウーマン』に登場する大人たちは、人生の岐路に立つ子供に「正しい道」を指し示す事ができずにいる。彼らも、また人生の分かれ道に行き当たり、思い惑う者に過ぎないからだ。
マイク・ミルズの映画の登場人物たちは、物語を通じて「愛とは?」「生きるとは?」「結婚とは?」「他人とは?」「自分とは?」と問い続ける。繰り返される問いは虚空を漂い、やがて重なり合って新たな未来を形作るかもしれない。最新作『カモン カモン』では、その問いに対する子供たちからの回答がインタビューというかたちで何度もインサートされる。マイク・ミルズホアキン・フェニックスたちは、物語の舞台となるアメリカの4都市、ニューヨーク、ロサンゼルス、デトロイトニューオリンズに住む9〜14歳の子どもたち21人と対話を行った。予め、物語に即した台本が用意されていた訳ではない。生まれた環境も年齢も異なる子供たちの語る、アメリカについて、人生について、世界についての言葉が演出という作為から離れて映画の中にたゆたっているだけだ。
虚空に浮かぶ子供たちの言葉と寄り添いながら、ラジオジャーナリストのジョニーと9歳の甥ジェシーの物語が軽やかに描かれていく。離婚した夫の精神状態を危ぶみ、オークランドへと向かった実妹ヴィヴの子供を預かる事となったジョニーは、妹が帰ってくるまでの間、叔父という立場を離れて父親の様にジェシーの面倒を看なければならなくなる。しかし、独身で子供もいないジョニーには、父親らしい振る舞いとはどういうものなのかが分からない。結局、彼は杓子定規にジェシーの行動を諫めたり、時には頭ごなしに怒鳴りつけてしまう。その不器用な姿は未だに父親という立場に戸惑い続けている私たちの様だ。
例えば、ジャック・タチの『ぼくの伯父さん』で、少年が無色で独身のユロ伯父さんを慕うのは、彼が効率的で秩序だった生活を好む父親とは似ても似つかない人物だったからである。実際、私たちが叔父さんという存在に親しみを持つのも、そこに非父親性を見出すからだし、逆に私たちが甥っ子と友人みたいに親しげに付き合えるのも、父親という責任ある立場とは無関係に振る舞えるからだ。しかし、叔父が父親を擬態しようとした瞬間、2人の間に流れていた豊かで自由な空気は不意にぎくしゃくしたものに変わり、友人であった筈の両者は「大人」と「子供」の陣営に分れ、硬直した姿勢で睨み合いを続ける事になる。
『カモン カモン』は、ジョニーとジェシーが「大人」や「子供」、あるいは「叔父」や「甥」といった関係性を捨てた場所から、再び絆を結び直そうとする物語である。その為にはどうすればいいのか。私たちはとにかく、子供たちの話に耳を傾けるしかないだろう。彼らが何を感じ、何を考え、何を選び取ろうとしているのか。その時、「大人」や「親」というラベルを剥がしてしまえば、私たちもまた彼らと同じである事に気づく。無理に足並みを揃えなくても、彼らと同じ速さで歩ける事が分かる。無理に答えなんて求めなくていいい。未来はいつでも謎めいた顔つきで「カモン、カモン」と私たちをさし招く。

 

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