事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

レオス・カラックス『アネット』

走り続けろ、過去に追いつかれないように

これまで観た映画の中でベスト3を選べ、と言われればレオス・カラックスの『汚れた血』は必ず入る。それぐらいに好きな作品なのだが、カラックス作品というと後は『ポンヌフの恋人』ぐらいしか観ていない。そういえば、私は『ポンヌフの恋人』をレンタルビデオで当時付き合っていた女の子の家で鑑賞し、その数か月後に手ひどくフラれたのを今思い出した。
ポンヌフの恋人』はシンプルなラブストーリーでありながら、パリ近郊にパリの街を再現したオープンセットを組み上げるというめちゃくちゃな撮影手法によって、膨大な費用と時間を投じる結果となった、言わば呪われた作品として有名だが、この事からも分かるとおりレオス・カラックスは映画製作において偏執的なこだわりを持つ作家であり、40年にも及ぶキャリアの中で長編6作、短篇1作しか発表していない。日本にも映画を撮らない映画監督はいるし、そういう人はだいたいタレント文化人になって、ワイドショーのコメンテーターを務めたりしているが、いったいカラックスはどうやって生活しているのだろうか。
まあそれはともかく、これだけ寡作だとフィルモグラフィの中から共通するテーマを見つけたり、作家性を分析したりする事に意味があるのか、という気がしてくる(と、言いつつ私もこれからその共通するテーマとやらをでっち上げる事になるが)。確かに『ボーイ・ミーツ・ガール』から『ポンヌフの恋人』まではドニ・ラヴァン演じるアレックスという名の少年(名前が同じだけで別人という設定)が登場するので「アレックス3部作」と一括りにできるし、メタシネマ『ホーリー・モーターズ』は『ポンヌフの恋人』と『TOKYO!』中の一編『メルド』を内包している訳だが…「アレックス3部作」とそれ以降の作品にどの様な繋がりを見出すべきか、非常に難しい。全くの別人が撮ったと言われても信じてしまいそうなぐらいに作風も異なっている。
ホーリー・モーターズ』もかなりとんでもない映画だったが、それから9年ぶりの続編『アネット』も観客を戸惑わせずにはおかない作品だ。スパークスの音楽に乗せて繰り広げられるロック・オペラ…と聞いただけで一筋縄でいかない事は想像できるが、そのスパークスのメイル兄弟、アダム・ドライバーを始めとする出演者一同、そしてレオス・カラックスまでがロサンゼルスの街を歌い踊るオープニングから呆気にとられる。普通、こういうカーテンコールみたいな演出は、エンディングにやるもんだろ…まあエンディングにも相当イカれたシーンが用意されてはいるが。
とはいえ、ストーリーだけ取り出してみれば、本作は非常に古典的な部類に入る。以下、簡単にあらすじを紹介しておこう。
コメディアンのヘンリーはオペラ歌手のアンと恋に落ち、アネットという娘を設けた。しかし、幸せは長く続かずヘンリーは徐々に酒に溺れる様になり、ある夜、酔った勢いで妻を殺めてしまう。やがて愛娘のアネットに歌手としての稀有な才能を見出したヘンリーは、コメディアンを卒業しステージパパへ転身するが、罪の意識によって彼は次第に狂気に侵され始め…
本作のプロットはシェイクスピア的でもあるが、私は何となく『累ヶ淵』や『四谷怪談』といった怪談話を想像した。もしかすると、最も重要な役どころであるアネットを子役ではなくパペットに演じさせたのも、カラックスが日本の文楽にインスパイアされたのかもしれない。カラックスの映画では愛とは常に裏切り、裏切られるものであり、スクリーンに登場する恋人たちはやがて訪れる悲劇の予感を抱きながら、決して留まる事なく疾走し、互いを傷つけあう。だから、観客は映画を観ている内に、果たして人が人を永遠に愛する事など可能なのだろうか、と不安に駆られ始める訳で、おそらく私が『ポンヌフの恋人』を一緒に観た彼女にフラれたのもきっとそのせいなのだろう。ただ、『アネット』ではこれまでどおりのカラックス的テーマを踏襲しつつ、そこに怪談じみた因縁話を盛りつけた点が新機軸と言えるかもしれない。因縁話を過去に復讐される物語と定義するなら、カラックスの映画の登場人物たちがひたすら走り続けるのは過去を振り切ろうとするからである。その手に捕まれたら最後、人々は感情に囚われ本当の愛を見失ってしまう。
汚れた血』がハリウッドの犯罪活劇の系譜に連なろうとした様に、レオス・カラックスの映画からはアメリカ映画に対する憧憬がしばしば感じられるが(前述の『ポンヌフの恋人』におけるオープンセットにもそうした想いがあったのだろう)、今作は初めての英語劇となっていて、劇中ではいかにもハリウッド的なスペクタクル・シーンも用意されている。しかし、最終的にはハリウッド映画とは似ても似つかないものになっているのが面白い。アメリカ映画に対する指向は同世代のリュック・ベッソンにも共有されているが、ベッソンが良くも悪くも現代ハリウッド映画を擬態する事に成功してしまったのに対し、レオス・カラックスの作品はハリウッド映画という枠にはどうしても収まらない。それが欠落のせいなのかあるいは過剰だからなのかは分からないが、齢60になってここまで居心地の悪い映画を撮るあたり、やはり大した才能だと言わざるを得ない。

 

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