事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ジェイソン・ライントマン『ゴーストバスターズ/アフターライフ』

オリジナル版に敬意を表しつつ、その時代的限界を見事にアップデートしている

前から疑問だったのだが、『ゴーストバスターズ』のゴーストっていうのは死んだ人間の霊なのか魑魅魍魎の類なのか、いったい何なんだろう?作中で言及される霊界とは天国とか地獄ともまた違うのだろうか?そこの親玉である破壊神ゴーザというのは何が目的なのか、シリーズは既に4作まで作られているのに、肝心なところはほとんど説明されていない。もちろん、このシリーズはあくまでコメディ映画として撮られているのだから、そんな細かい事はどうでもいいのかもしれない。あたりまえの話だが、『ゴーストバスターズ』は『エクソシスト』の様な神学的テーマを扱ったシリアスなホラーではないからだ。作り手が描きたいのは、いい歳こいた大人がアホみたいな事を大真面目にやっている、そのユルい空気感なのであって、だからゴーストをめぐる設定のいい加減さもそのユルさに貢献していると考えればいい。
アイヴァン・ライトマン監督によるシリーズ1作目と2作目が世界的な大ヒットとなったのも、最初から最後までいい加減でふざけたその作風が当時の世相とマッチしていたからで、その意味では80年代を代表する映画のひとつと言っていいだろう。正直、ダン・エイクロイドハロルド・レイミスによる脚本は、ホモソーシャルな価値観が丸出しで今観るとなかなかツラいものがある。しかし、『ゴーストバスターズ』ファンが望んでいるのはまさにそこなのではないか。ポール・フェイグによる2016年のリブート作が不評だったのは、映画の出来云々よりもオリジナル版のジェンダーバイアスを一掃し、シスターフッド映画へと作り替えた事への感情的な反発が影響した様にも思う。興行的に失敗に終わったとはいえ、ポール・フェイグ版は決して悪い作品ではなかった。むしろ、娯楽映画として観るならアイヴァン・ライトマン版よりテンポも良く優れていたぐらいだが、前述したとおりオリジナル版のファンが求めているのはあのユルくもグダグダした空気であり、娯楽映画としての完成度ではないのだ。
アイヴァン・ライトマンの実子であるジェイソン・ライトマンが監督と脚本を手掛けた再リブート作『ゴーストバスターズ/アフターライフ』は、こうしたファンの要望に応えつつ、オリジナル版を現代的にアップデートする、という困難な課題に挑戦している。ゴーストバスターズ創設メンバーの孫を主人公に、一編をジュブナイルものとして描く一方、そこにノスタルジーを加味する事でオリジナル版のファンにもきっちりと目配せを行っているのだ。シリーズ第1作目の製作当時、まだ6歳の少年だったジェイソン・ライトマンの脚本からは、2014年に他界したハロルド・レイミスに対する敬意がひしひしと伝わってくる。『恋はデジャ・ブ』の撮影中に仲違いしたビル・マーレイハロルド・レイミスが本作で「共演」するシーンはファンならずとも涙なくして観る事ができないだろう。ハロルドは生前、何とかしてオリジナルメンバーを再結集し、『ゴーストバスターズ』の3作目を作ろうと奔走していたと聞く。それはまるで、ゴーストバスターズ解散後もたった1人でゴーストから世界を守り続けていたイゴン・スペングラー博士の様だ。
結局、志半ばにしてハロルドは死去し、製作を担当したアイヴァン・ライトマンも本作が遺作となった。無慈悲な時の流れによって宙ぶらりんになった意志を、だから誰かが引き継がねばならない。イゴン・スペングラー博士の孫娘フィービーがこの世に甦ったゴーストたちと苦闘を繰り広げる『ゴーストバスターズ/アフターライフ』には、先人たちに代わって本シリーズを引き継ごうとするジェイソン・ライトマンの強い覚悟が込められている。

 

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当時の空気感を知らないと十分に楽しめないとは思うが、やはりオリジナル版の1作目と2作目を観てから本作に臨んだ方がいいだろう。