事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

白石和彌『孤狼の血 LEVEL2』

鈴木亮平の演技は一見の価値ありだが、ヤクザ映画としてのダイナミズムに欠ける

本シリーズは柚月裕子の長編小説を原作としているが、映画版2作目『孤狼の血 LEVEL2』は映画オリジナルのストーリーとなった。当初は小説版三部作の第2作目『凶犬の眼』をベースに続編が製作されるとの情報だったが、途中で方針が変わったのだろう。その辺りの経緯について監督の白石和彌は、前作のラストを原作と変えてしまった為に『狂犬の眼』と繋がりにくくなった事、そもそも『狂犬の眼』がヤクザ同士の抗争を描いた作品ではなかった事が原因だと説明している。私は原作小説を未読の為に何とも言えないが、もともと小説版『孤狼の血』は“警察小説×仁義なき戦い”と評されていた。その「仁義なき戦い」成分が薄いのであくまでヤクザ映画を撮りたい白石和彌の思惑にそぐわなかった、という事なのかもしれない。
しかし、じゃあ『孤狼の血 LEVEL2』がヤクザ映画なのか、というと正直よく分からないのである。確かに本作でもヤクザ同士の抗争は描かれているのだが、鈴木亮平演じる上林成浩という、完全に気が狂った男を登場させた結果、ヤクザ映画的な要素が後景に退いているからだ。露悪趣味丸出しの残虐描写は前作同様、いやそれ以上に盛り込まれているのだが、それが前作の様な東映実録ヤクザ映画へのリスペクトというより、サイコホラーのゴア描写みたいに感じられるのである。
おそらく、役所広司演じる大上という悪徳刑事が前作で退場したので、それに匹敵する強烈なキャラクターを用意したかったのだろう。松坂桃李演じる主人公の日岡がどこか線の細さを感じさせるので、その真逆の様な存在を配置し化学反応を起こさせたかったのかもしれない。その意図は理解できるし、上林の狂気に引きずられて一線を踏み越えていく刑事の姿を松坂桃李は上手く演じていたと思う。もちろん、鈴木亮平の演技がとんでもないのは映画を観た方ならお分かりだろう。
しかし、その分ヤクザ映画としての面白みは前作と比べてかなり減退した。個人的な見解だが、ヤクザ映画の醍醐味はドラスティックに変化していく暴力団組織の姿を描く事にあると思う。繰り返される抗争の中で、組織は統合や分裂を繰り返し、拡大あるいは縮小を遂げていく。組同士の力関係も常に推移し、力の衰えた組は他の組に取り込まれるか、いずれ消滅してしまう。その栄枯盛衰の中で本作の上林の様に強烈な個性を持った個人が登場する事もあるだろうが、それはやはり組織の変化を促すひとつの要素に過ぎないのである。
孤狼の血 LEVEL2』に登場するヤクザ達は、幹部であろうが下っ端だろうが、いずれも上林に翻弄される程度の役回りしかあてがわれず、組織のダイナミックな動きによって映画をけん引する様な事は決してない。スクリーン上でどれほど凄惨な暴力が繰り返されようとも、それは上林という男の個性に回収されてしまうのだ。もちろん、組織の論理が全く通用しない無軌道な男の人生を描いた深作欣二の『仁義の墓場』の様な傑作もあるが、本作の上林が『仁義の墓場』の石川力夫と徹底的に異なるのは、彼が幼少の頃に父親から凄惨な暴力を受けていたという、いかにもありきたりなトラウマが用意されている事である。石川にはその様なバックグラウンドは全く描かれず、ただただ現実の不可解さ、理解しがたさを体現する存在としてスクリーン上で大暴れしていた。『孤狼の血 LEVEL2』の暴力描写は、表現だけを切り取ってみれば『仁義の墓場』を超えているかもしれないが、あまりにも分かりやすすぎる。

 

あわせて観るならこの作品

 

凄惨な暴力描写が話題を呼んだ前作。猥雑さと純粋さを同居させた役所広司の演技が素晴らしい。

 

深作欣二監督、渡哲也主演の大傑作。三池崇史によるリメイク作もあるが、そちらは未見。