事件前夜

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リー・ワネル『透明人間』

透明人間 (字幕版)

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  • エリザベス・モス
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ユニバーサルがMCUに対抗してぶち上げた「ダーク・ユニーバース」なるモンスター映画のリブート企画も、肝心の第一作『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』が評価、興行成績とも散々の結果に終わり、速攻で無かった事にされてしまった。まあ柳の下にドジョウは何匹もいない、という事なのだろう。その余波を受け、既に企画が進んでいた『透明人間』のリメイクは「ダーク・ユニーバース」とは何の関係も無い、独立した作品として仕切り直す事となった。ジェームズ・ワン一派のリー・ワネルに製作総指揮、監督、脚本を一任したあたりからも、アクションエンターテインメントではなく、純粋なホラー映画として『透明人間』をリメイクしよう、というユニバーサルの意志が窺える。
透明人間は大人から子供まで誰もが知っているモンスターだから、これまで何度も映画の題材になってきた。もちろん、各作品それぞれに特色はあるのだが、ざっくりと2つに分ければH・G・ウェルズの小説『透明人間』を源流とする作品群と、H・F・セイントによる『透明人間の告白』を源流とする作品群が存在する。要するに、透明人間が「悪い奴」か「良い奴」か、で作品を分類する事ができるのだ。前者は、科学の力で透明になったマッド・サイエンティストが跋扈する恐怖映画として作られていて、ユニバーサル製作、ジェイムズ・ホエール監督の1933年版、近年ではポール・ヴァーホーベン監督の『インビジブル』が有名だろう。逆に後者は、科学実験の事故に巻き込まれた主人公が透明になってしまい諜報機関から追われる羽目になる、という巻き込まれ型サスペンスのプロットを有しており、原作の忠実な映画化はジョン・カーペンターによる1992年版ぐらいしか存在しない。ただ、こちらのパターンは恐怖感より誰からも認知されなくなった人間の孤独と悲哀を描く事に力点を置いていて、その流れで透明人間と盲目の少女の恋愛を描いた『エンジェル 見えない恋人』といった風変わりな作品も存在する。本作は、1933年版のリメイク的な性格を持っているので、当然のことながら前者に属する訳だ。
という風に、これまで透明人間の登場する映画が和洋問わず数多く作られてきたのだが、よく考えてみるとこれは不思議な事である。当たり前の話だが、透明人間は人の目には見えない。映像芸術である映画においては、見えないものは存在していないのと同じ筈だ。だから、映画はこれまで不可視である筈の透明人間を可視化する事で、その存在を担保してきた。例えば、透明人間といえば誰もがイメージする、包帯でぐるぐる巻きにされてサングラスを描けた顔であるとか、身に着けた衣服だけが宙に浮いて動いているとか、雪面に足跡だけが残されていくとか、その類の描写によって、私たちは透明人間の存在を信じる事ができる。こうした非存在の存在を信じさせる為のテクニックが、透明人間映画のセールスポイントになっていた筈で、ワイヤーで小道具や人を吊るしたり、画面合成を行ったり、といった特撮技術の発達もそれに大きく寄与した事だろう。
しかし、VFX技術の発達により今や映画の映像表現は飛躍的な進歩を遂げている。もはや、現代の映画に不可能な表現など存在しない事を観客はとうに知ってしまっているのだ。椅子やテーブルが勝手に動いたり、ナイフが宙を浮いていたからといってだからどうした、という反応しか返ってこないだろう。
で、それこそが『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』が大コケし、「ダーク・ユニバース」という企画がポシャッた原因ではないかと思うのである。今や、ミイラや狼男が登場しただけで観客が驚いてくれる時代はとうに過ぎ去ったのであり、ならばそうしたモンスターを現代に蘇らせる意義はどこにあるのか、という点が問われる訳で、その面での戦略性がユニバーサルには欠けていた。おそらく、伝統的なモンスター映画は『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』を頂点にその役目を終えていたのである。
リー・ワネルがそうした問題意識を持っていたのかどうかは分からないが、少なくとも今回のリブート版『透明人間』では、映像的な新鮮さはあまり感じられなかった。本作の透明人間にまつわる描写は、ほとんどが過去作品でも見られたものの流用に過ぎない。透明人間が暴れ回るアクションシーンについては疑似的なワンカット撮影が使われており、そこだけは今風の映像になってはいるが、それも現在の技術を以てすれば想定の範囲内だろう。それでは、ビジュアル表現を除いて、現代に透明人間を復活させる為の意義が本作には存在するのだろうか。まずは簡単にあらすじを紹介しよう。
過剰な束縛によって妻を支配しようとする夫エイドリアンに苦しめられてきたセシリアは、ある日の夜、意を決してセキュリティの張り巡らされた自宅から脱出する事に成功する。その後、夫が自殺したとの報せが届き、セシリアは夫の遺言によって多額の遺産を相続する事となった。思わぬ幸運に喜ぶセシリア。しかし、光学研究の第一人者だったエイドリアンは密かに透明人間になれる技術を開発しており、偽装死に情じて自分を捨てた妻に復讐しようとしていたのだ。身の回りで次々と不可解な現象が発生し、恐怖に怯えるセシリア。しかし、周囲の人々はそれを彼女の妄想だとまともに取り合わず、セシリアはいっそう孤立感を深めていく…
夫による妻への暴力、ドメスティック・バイオレンスやモラル・ハラスメントといった問題が物語の背景にある事が、このあらすじからもお分かり頂けるだろう。透明人間となったエイドリアンは、誰に見とがめられる事もなくセシリアに近づき、様々な嫌がらせを繰り返して彼女を精神的に追い詰めていく。当初はセシリアの味方だった人々もエイドリアンの策略によって彼女から離れていき、セシリアはたった一人で目に見えぬ恐怖と対峙する事になる。
つまり、本作における透明人間の恐怖とは、男性優位社会に生きる女性たちが日々感じ続けている様々な抑圧、彼女たちを縛り付け意のままに操ろうとする圧力そのものなのである。それは、はっきりと認識できるものとして人々の前に現れはしない。確かにそこにあり、影響を及ぼしている筈なのにそれが何なのか、はっきりと指し示す事ができない。であるが故に、被害者がいかに苦しみの声をあげようとも、そんなものは存在しない、君の思い込みに過ぎない、と嘲笑され孤立していく。本作の特異な点は、こうした不可視の支配構造を、透明人間という目に見えない存在に象徴させる事で、逆に見える化してしまうという逆説的なストーリーテリングにある。
この見えない鎖を断ち切って、自由を獲得する為にセシリアはどの様な方法を選択するのか。それを明かすと興を削ぐので伏せておくとして、いずれにせよ本作はアクチュアルな問題を盛り込む事で古典的なモンスター映画をアップデートした好例として、ギレルモ・デル・トロ『シェイプ・オブ・ウォーター』に匹敵する出来栄えである。ぜひ劇場でその過激な結末をご覧になって頂きたい。

 

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  • 発売日: 2012/10/24
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1930年代に一世を風靡した、ユニバーサル製怪奇映画の秀作にして、透明人間映画のマスターピース。監督は、『フランケンシュタインの花嫁』の ジェイムズ・ホエール。

 

こちらはポール・バーホーベンによるリメイク作。バーホーベンらしい露悪趣味満載の一作だが、透明人間の視線とカメラを同質性をベースに覗き趣味を主題にするあたりはさすがに冴えている。