事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

おまえがアップリンクに行こうが行くまいが知った事か。

私は関西在住なので有限会社アップリンクの運営する映画館は今まで利用した事が無い。ただ、アップリンクの配給した映画は何本か見ていたし、代表である浅井隆氏は映画ファンの間では有名な人なので名前だけは知っていた。コロナ禍で遅れていたアップリンク京都が先日オープンしたので、機会があれば行ってみたいとは思っている。
そのアップリンクの元従業員5名が、在職中に浅井氏からパワハラ的言動を受けたとして東京地裁に提訴した。このニュースはご存じの方も多いだろう。原告側の主張は下記のリンクに詳しくまとめられている。

これを受けて、浅井氏は自社サイトで謝罪し今後の対応策を発表しているが、原告側は浅井氏による直接の謝罪も無く、対応策も一方的に発表されたものだとして再批判を行っている。こうしたパワーハラスメントや過酷な労働環境は、何もアップリンクだけに止まる話ではなく、日本の映画産業全体にまつわる問題でもあり、業界全体の真摯な対応が求められる事は間違いないだろう。
しかし、それはあくまで映画産業に携わる方が考えたり実行したりすべき問題で、単に映画が好きなだけの部外者である私には何もできる事はない。同じ労働者の端くれとして、原告側の訴えが正当であるなら司法によってしかるべき判断が下され、日本の映画業界が変わるきっかけになればいい、と思いながら、今まで通り映画を観続けるだけの事だ。
というと、何か無責任な態度の様に受け取られるかもしれない。なるほど、この問題が表面化してから、当面の間アップリンクの映画館には行かない、アップリンクの配給する映画は観ない、とボイコットによって抗議の意思を示そうとする動きがSNSの一部で見られる。それに対し、映画そのものには罪が無いのでは、と疑義を呈する意見もあり、一時期はTwitterのタイムラインがこの手の応酬で埋め尽くされ、心底うんざりした。
こうしたボイコットによってアップリンクが潰れでもすれば、それをきっかけに映画業界のコンプライアンスに対する意識が変革され、そこに従事する人々の労働環境が改善される、というものすごく迂遠な方法が成功する可能性が微小ながら存在するのかもしれない。もちろん、その反動として従業員に対する適切な待遇、及び企業が存続する為の利益を確保する為に、映画料金は更に値上げを余儀なくされるだろうし、ある程度の興行収入が認められる様な作品しか製作されなくなり、配給や上映もされなくなる可能性もあるだろう。映画なんて商売は、一部を除いてはほとんど儲かっていないのだから。もちろん、私はそれが嫌だったら、どれだけ過酷な労働であろうとも我慢しろ、と言ってるんじゃないです。そもそも映画なんて別に特権的な娯楽ではないし、映画館で映画を観る意味など今や薄れてしまっている。
だから、てめえが映画館に行こうが行くまいが、勝手にしたらいい。こんなブラック企業が運営する映画館は不愉快だから今後利用しない、というのならそれも自由である。ただ、それで今回の問題について何かを成し遂げたつもりでいるのは大間違いだ、という事だけは言っておきたい。SNS上でアップリンクを猛烈に批判するのも同じである。あなたは、結局のところ何もしていない。
言うまでもないが、ハラスメントを始めとする様々な労働問題は、映画に限らずどんな業界にだって存在していて、誰しもそのいずれかに属している筈なのである。だから、私たちが今すべきなのは、自分の属している業界に蔓延る労働問題を見つけ出し、ひとつずつ改善に努めていく労働者としての地道な戦いの筈だ。当然、そこには様々な障壁がある。「消費者」という「商品」を選別できる絶対的に優位な立場に立ってアップリンクを批判するのとは訳が違う。自分の勤める会社と対等に渡り合う度胸も知識も無いし、最悪の場合は職を失う恐れもある。しかし、それでも何らかの方法で少しずつ、自分自身をめぐる労働環境を改善する方法を探っていかなくてはならないのだ。そして、それはTwitterハッシュタグを付ける、といった行為とは全く別次元の覚悟を必要とする。
勇気を持ってアップリンクを訴えた人たちを、臆病な自分のガス抜きに利用してはならない、と思う。