事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

ダルデンヌ兄弟『その手に触れるまで』

ダルデンヌ兄弟の映画といえば、市井の人々が抱く苦悩をテーマにしたリアリスティックなストーリーと、ぎりぎりまで対象に近づいた手持ちカメラによる撮影がその特徴として挙げられる。というと、何か社会派ドキュメンタリーの様な作風を想像してしまうかもしれないが(実際、ダルデンヌ兄弟ドキュメンタリー映画からキャリアをスタートさせている)、作品に触れてみると紛れもなく劇映画の手ごたえを感じられるから不思議だ。その理由の一旦は、アラン・マルコァンによる流麗なカメラワークにあるのだと思う。普通、これだけカメラを近づけて撮影すると、画面の大部分をその対象が占める事になり、どうしても平板なショットが続く事になる。しかし、ダルデンヌ兄妹&マルコファンは、登場人物の身振りや移動=フレーム・イン/アウトに合わせて適切にカメラを動かし続ける事で、画面に豊かな奥行きをもたらしている。もちろん、カメラを動かすといってもマイケル・ベイの様な、手持ちカメラを振り回す類のものではない。それはほとんど固定カメラのパンやティルトの様に滑らかでゆったりとしたカメラ移動なのだ…と、ここまで書いてきて『その手に触れるまで』の撮影監督がアラン・マルコァンでない事を知った。しかし、そのカメラワークは過去作と比べて全く遜色がない、というか違いが全く分からないのである。おそらく、撮影前に演出面も含めて緻密な画面設計をしているのだろう。食卓で家族が諍いをする場面の見事さは、いきあたりばったりに撮って成し得るものではない。
ところで、ダルデンヌ兄弟の最近の作品は過去作のセルフリメイク的な側面が感じられ、前々作『サンドラの週末』は『ロゼッタ』を、前作『午後8時の訪問者』は『イゴールの約束』を何となく想起させる。それに倣えば、本作は犯罪をめぐる加害者と被害者の対峙、という面で『息子のまなざし』に近いテーマを扱っていると言えるだろう。しかし、「赦し」をテーマとしていた『息子のまなざし』が主に被害者側の視点から語られていたのに対し、『その手に触れるまで』は加害者側にスポットを当てている点が大きく違う。
ベルギーに住む13歳の少年アメッドは、ゲームの好きなごく普通の少年だったが、コーランに熱中する様になった挙句、原理主義的なイマーム(導師)に感化され、教師であるイネスとあいさつの握手を交わす事も拒否する様になってしまう。課外授業の一環としてアラビア語の日常会話を歌で教える事を提案するイネスを背教者と考えたアメッドは、ある日靴下に忍ばせたナイフで襲い掛かる。この襲撃は失敗し、彼は更生施設に収監される事になるのだが、だからといって本作は、過激な思想に染まった少年が周囲の人々の努力によって日常に帰還する、といった分かりやすい物語には帰着しない。劇中には息子の更生を願う母親や彼を赦そうとする教師といった存在、あるいは社会奉仕先の農場で知り合った少女との恋といった展開が用意されているのだが、それらによってアメッドの信仰が揺らぐ事はないのである。
本作に限らず、ダルデンヌ兄弟はいつだって、分かりやすい物語を拒否し、ほとんど解決不能と思える問いを観客に投げ掛けてきた。だから、彼らの映画から明解な回答を得ようとするのは間違いだ。ただ、その答えはおそらく既に私たちの心の中にあって、それに気づく為のきっかけを彼らの映画は与えてくれる。
ところで、邦題が示す通り本作の重要なモチーフとなっている握手、欧米におけるコミュニケーションの基礎となっているこの行為が、実は新たな分断を生む要因になっている事をご存じだろうか。本作でも語られている通り、保守的な一部のイスラム教徒は、配偶者以外の異性との握手を忌避しているのだが、こうした態度が欧米では批判を呼び、握手を拒否するイスラム教徒への処遇が政治問題化しているのだ。例えば、スイスやフランスではあるイスラム教徒が握手を拒んだ事を理由に国籍や市民権の取得が認められず、オランダのロッテ首相に至っては握手を拒む人間はオランダから出ていけ、という趣旨の意見広告を国内の新聞紙に掲載したという。本来、人と人を結び合わせる為の手段が、他者を選別する為の物差しになってしまうというパラドックス。民主国家なら全ての人に認められている筈の行動、宗教の自由を、自ら手放してでも自分たちの価値観を守ろうとする空気が、いつの間にか醸成されつつあるのだ。
しかし、コロナウイルスによってこうした握手による連帯(=選別)というシステム自体が崩壊してしまった。感染を恐れる人々は濃厚接触を避ける様になり、ハグや握手に代わる新たなコミュニケーションの手段を模索する様になったからだ。以前にも書いたが、ウイルスという「越境者」によって、共同体の倫理や価値観が音もなく崩壊していく様を、今まさに私たちは目撃している。ポスト・コロナ時代において、私たちはいかに人と繋がりあい、他者を想う事ができるのか。本作のラストが示す通り、その答えを獲得しようとするならば、自らの肉体的な苦痛を伴う事を覚悟しなければならないのかもしれない。

 

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前科者などの若者が通う職業訓練所で指導を担当する男が、自分の息子を殺害した少年と再会した事で葛藤する姿を描いたヒューマンドラマ。赦しでも和解でもない、かといって憎しみでもない、複雑な感情が交錯するラストシーンがあまりにも印象的。