事件前夜

主に映画の感想を書いていきます。

緊急事態不機嫌日記(4/20~4/26)

4/20
本日は通常出勤。通勤電車の中はそれなりに人がいて、とても8割減という感じではない。まあ、私などは何をするにもぼっちの人間だし、人との接触を8割減らそうとしたら無人島に引っ越すぐらいしかないのだが。妻にも、あんたは今の暮らしが永遠に続いても何とも思わないでしょ、などと言われる。確かにそうかもしれない。存在しているのかいないのかも分からない幽霊たちがそこら辺をウロウロしている、ずっと前からそんな世界を夢見ていた様な気がする。
帰宅し、ジャン=ステファーヌ・ソヴェール『暁に祈れ』を鑑賞。こちらは幽霊どころか、びんびんに存在感を放っている全身刺青の怖いオッサンが山ほど登場する。薬物依存症のイギリス人ボクサーがタイの刑務所に収監され、そこでムエタイに出会う事で救われていく、という所謂「刑務所スポーツもの」だが、登場する囚人は全て本物らしい。主人公のビリーはタイ語をほとんど解しないので、彼らが何を言っているかさっぱり分からない。でも絶対に怖い事を言っているのだけは分かる。基本的に劇中のタイ語には字幕が付いていないので、観客もビリーの置かれた不安をひしひしと体感できるのだ。異国の刑務所にぶち込まれた囚人が酷い目に遭う、といえば『ミッドナイト・エクスプレス』(なぜか主人公の名前が同じ)が有名だが、あの作品の様に囚人や看守を理解不能のエイリアンとして扱っている訳ではない。文化や習慣の差異がもたらす恐怖を煽情的に描くのではなく、そうした差異を認め合った上で、いかに他者を受け入れていくかが本作のテーマになっているからだ。
4/21
大阪府知事が自粛要請に応じない企業、店舗の名前を公表する意向を示した。実際、現在も営業を続けている店舗を密告する様な電話が相次いでいるらしい。人々が互いを監視しルールに外れた者を勝手に排除しようとするのだから、権力にとってこんなに都合の良い話はない。
ショーペンハウアー『読書について』を読了。自分の考えを他人に伝える、という事がいかに困難であるか、だからこそ言葉は正確に使わなければならない。様々なメディアで無責任な言説が飛び交う昨今、学ぶところの多い1冊だった。本を乱読していると内容を読んだそばから忘れる様になる、という指摘は耳に痛い。
その後、アラン・パーカーミッドナイト・エクスプレス』を鑑賞。やはり、トルコの文化や司法に対する偏った描き方についてはかなり問題が多い作品だ。もちろん、オリバー・ストーンによる原作の改変は、本作を脱獄サスペンスとして成立させる為に必要だったと思うが、そもそもこの題材にそうした面白さが必要だったのか疑問が残る。ただ、主人公の頭がおかしくなって看守の舌を噛みちぎるシーンと。面会に訪れた恋人の身体をガラス越しに愛撫するシーンはなかなか良かった。
4/22
中原昌也『映画の頭脳破壊』を読了。「文学界」で連載されていたからだろうか、『サイドカーに犬』や『人のセックスを笑うな』など純文学の映画化作品が取り上げられており、いずれも出来が良い様なので興味を持つ。ホンマかいな、という気がしないでもないのだが…
夕方から、『ある女流作家の罪と罰』を鑑賞。アカデミー賞に3部門ノミネートされたにもかかわらず日本ではビデオスルーとなったのは、やはり内容が地味過ぎるからだろうか。他者を受け入れる事のできない女性作家が著名人の手紙を偽造する事によって、初めて他者に接する機会を掴む、というアイロニーが面白い。伝記作家である彼女は、その傲岸不遜な態度からいつも周囲と衝突を繰り返している。彼女にとっての他者とは様々な資料や文献から導き出されたイメージとして存在し、現実に生きている生身としての他者に対しては単にわずわらしさしか認めていない。だから、やがて彼女が手紙の偽造というかたちで他者の言葉を創作し始めるのは必然なのである。それは、生活費を稼ぐためにやむを得ず手を染めた犯罪であったろう。しかし、やがてその行為はリー・イスラエルという作家が他者を知る為の、そして自分自身を知る為の重要な儀式となっていく。だからこそ、彼女は自分の犯した罪を反省も公開もしていないと裁判の席で堂々と述べるのだ。メリッサ・マッカーシーの存在感のある演技が素晴らしかった。
4/23
岡江久美子コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。情報番組での司会などで好感度の高い女優だったから、ショックを受けた人も多い様だ。発熱後、医療機関から4~5日の自宅待機を勧められ、その間に症状が急変したという。同じ様な事例が埼玉県などでも起きている事から、「4日以上発熱が続く患者の身PCR検査を実施する。それ以外は自宅待機」という指針を見直さざるを得なくなるだろう。それを受けてか、ネットでは岡江久美子厚労省が殺したとか専門家会議が殺したとかいう言葉まで飛び交っていて、こういう下品な奴らには心底ウンザリする。誰かが誰かを殺した、などと主張する場合は明かな証拠の提示が必要である事は言うまでもない。それも無いのに無責任に喚きたてている輩は、結局はリンチを肯定しているのだ。社会的制裁、なんて言葉を無自覚に使う奴らは死んでしまえ(これは単なる罵詈雑言なので、証拠は必要ない)。
夕方、ジョン・カサヴェテス『こわれゆく女』を鑑賞。私が幼い頃、母親も精神を病んでいて、何度も自殺未遂を繰り返したり、家族に暴力を振るったり、本当に凄惨な毎日を過ごしていた。鑑賞中、当時の記憶がまざまざと蘇る。ただ、本作で描かれている「狂気」とは「自由」と同義なのでは、という気もした。ピーター・フォーク演じる夫は、妻が見せる奇矯な振る舞いに耐える事ができない。それは、彼が「普通」の家庭というイメージに囚われ、そこから外れる事を極度に恐れているからだ。しかし、ジーナ・ローランズ演じる妻は、夫が望む「普通」の家庭像など共有していない。彼女は自分なりに夫や子供たちへの愛を全身で表現しているだけなのだ。その「愛」を「病」と診断され、強制的に入院させられた女が自宅に戻ってきた姿はあまりにも痛ましい。まるで翼をもがれ、大空を自由に飛び回る事を禁じられた白鳥の様に、彼女はソファの上で「白鳥の湖」を踊り続ける。個人の狂気を通して、ジョン・カサヴェテスは社会が私たちに押し付けてくる常識や通念の息苦しさを暴き立てているのだ。
4/24
出勤日。大阪府知事が休業要請に応じないパチンコ店舗の実名を公表したが、逆に「へー、ここなら開いてるんだ。行ってみよう」という奴も出てくるだろう。客が来ない様にする為に、この時期だけめちゃくちゃ釘を絞るというのはどうだろうか。これなら徐々に客足も遠のくだろうし、パチンコ屋は儲かるし一石二鳥である。
伊藤俊也『女囚701号/さそり』を鑑賞。女囚さそりシリーズは第3作の『女囚さそり けもの部屋』しか観ていなかった。「けもの部屋」に負けず劣らずの奇抜で大袈裟な演出を堪能。それにしても、これだけ女の裸が出てくる映画が娯楽映画として受け入れられていた、というのはつくづく良い時代だなあ。1作目のみ梶芽衣子のオッパイが見れる、というだけでもありがたい。それにしても、本作の奇を衒った演出と反体制的な描写は、明らかに左翼運動の影響下に生まれたアングラ文化を踏襲したもので、監督の伊藤俊也はガチガチの左翼運動家だったのだからさもありなん、という感じだが、その伊藤が1998年に東京裁判での東条英機の姿を描いた『プライド・運命の瞬間』を撮った事はもっと再考されるべき問題だ。それは、転向とか日和った、などという言葉では表せない複雑さをはらんでいると思うからである。
4/25
「あつまれどうぶつの森」のアップデートが実施され、シリーズファンならお馴染みのつねきちやレイジ、というキャラクターが登場。さっそく、低木や美術品を購入する。コロナウイルスの蔓延を予測していた訳でもないだろうが、とにかく本作はプレイヤーがゲームを進めるペースを作り手がコントロールしようとする意図が窺える。この辺りはスマホゲームとしてスピンオフ作を展開していたノウハウもあるのだろうが、本体の時間設定をいじってでも全ての要素を遊びつくしたいタイムトラベラーには不評だろう。私はタイムトラベラーではないが、とにかく本作は効率的な金策がほとんど無いのには参った。前作『とびだせどうぶつの森』では南の島でカブトムシを捕まえていればベルには不自由しなかったのだが。更に、PS4の『悪魔城ドラキュラX・セレクション 月下の夜想曲 & 血の輪廻』をプレイ。『血の輪廻』だけ100%クリアした。PCエンジンCD-ROMは持っていたのに、このゲームはプレイした事が無かった。『悪魔城ドラキュラ アニバーサリーコレクション』も気になるが、『悪魔上ドラキュラⅡ呪いの封印』が英語版だったり、『悪魔城ドラキュラXX』が入ってなかったり、色々と中途半端。

その後、石井輝夫『網走番外地』を鑑賞。プロットは『手錠のままの脱獄』の翻案みたいなものだが、それにしても娯楽作品としては著しくバランスの悪い作品で、何しろ主演の高倉健の存在感が非常に希薄で、どちらかといえば相手役の南原宏治の怪演ばかりが印象に残る。しかしまあ、この映画は刑務所内の人間ドラマなどほとんどどうでもよく徹頭徹尾、乗り物の映画なのだ。クライマックスのトロッコに乗ってのチェイスシーンや、橇が雪原を滑走するラストシーンの疾走感が素晴らしい。
4/26
ブラッド・アンダーソンザ・コール 緊急通報指令室』を鑑賞。以前に観た『THE GUILTY/ギルティ』と同じく、こちらも緊急通報電話のオペレーターが主役の映画だが、コールセンター内での出来事だけを追った『THE GUILTY/ギルティ』とは異なり、被害者の視点も同時進行的に描かれる。クライマックスに至っては、オペレーター役のハル・ベリーが犯人のアジトへ直接赴くという職権乱用も甚だしい展開になるので、結局はよくあるサイコ・サスペンスに落ち着いてしまった。ところどころで挿入される画像処理が鬱陶しいなあ、と思ったら『マシニスト』の監督か。
その後、デヴィッド・E・ダーストン『処刑軍団ザップ』を鑑賞。一応、チャールズ・マンソン事件からヒントを得たという映画らしいが、その手のカルト宗教もの(モチーフとなっている悪魔崇拝はものすごく薄っぺらい描写しかされていないが…)と、伝染病映画をミックスさせたという意味でエポック・メイキングな作品である(ジョージ・A・ロメロの『ザ・クレイジーズ/細菌兵器の恐怖』よりも早い)。狂犬病に罹った患者が軒並み凶暴化し集団で襲い掛かる姿は、ほとんどゾンビと変わらないのでその手のホラー映画として楽しめるが、それにしても罹患者が全員、口から泡を吹きだしており、その泡がシェービング・クリームか何かにしか見えない、というのはどうかと思う。それなりに良いショットが多いのに、カット・イン・アクションがめちゃくちゃなのが緊張感を阻害していて惜しい。もしかすると、ヌーヴェル・ヴァーグを意識したジャンプ・カットのつもりなのか?