事件前夜

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是枝裕和『真実』

 

真実 コンプリート・エディション(2枚組)(初回生産限定) [Blu-ray]

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  • 出版社/メーカー: ギャガ
  • 発売日: 2020/05/15
  • メディア: Blu-ray
 

万引き家族』がカンヌ国際映画祭パルムドールを獲得した際、是枝裕和監督が文科省祝意を辞退した事に対して「日本映画製作支援事業の助成金で映画を作っておきながら、祝意を辞退するとは何事だ!非国民だ!」と、文化というものについて何も知らない馬鹿が逆上していたが(もちろん、助成金を受けた製作者に義務付けられているのは作品を完成させる事であって、わざわざ文科省の役人と会って媚びへつらう事ではない)、この騒ぎにうんざりしたのか、本作はフランスと日本の合作、しかも台詞のほとんどがフランス語、撮影も全てパリで行った意欲作である。
要するに、日本人監督が撮ったフランス映画と言って差し支えないだろう。あまり仲の良くない親子の気の進まぬ里帰りの模様を描いた点は、2008年のミニマルな傑作『歩いても歩いても』と共通しているが、だからと言って、舞台をフランスに移し替え、フランス人俳優に演じさせればフランス映画のできあがり、というほど簡単な話ではない。何しろ、日本人とフランス人では生活習慣が全く違う。彼らは日本人とは異なり、親しみを示す為に握手やハグ、キスといった表現方法を使う。そればかりか、気分が良いと手を取り合って踊り始めたりもするのだ。『歩いても歩いても』の樹木希林は、息子夫婦へ別れの挨拶として握手をしただけで夫に叱咤されていたのに、である。親子喧嘩をするにしたって、互いに言いたい放題にやかましく議論をする。『歩いても歩いても』の阿部寛原田芳雄の様に気まずい沈黙だけで済ませたりはしない。つまり、日本人に比べてコミュニケーションがより身体的かつ直接的なのである。
監督と脚本を兼任する是枝裕和にとって、これが非常に高いハードルであった事は想像に難くないが、本作はそれを軽々と超えてしまっている。上述の様な場面を日本人が撮れば、いかにも歯に浮いた様な画になってしまいそうなところを、本作は全く違和感なく見せてしまう。しかも、カトリーヌ・ドヌーヴジュリエット・ビノシュイーサン・ホークといった実績のある俳優を従えて、である。お見事、としか言いようがない。ついでに言えば、本作には「母の記憶に」というSF映画が劇中劇として取り込まれているが、これは新進気鋭の中国系アメリカ人SF作家、ケン・リュウの小説が原作となっている。日本人の映画監督がフランス人の女優やアメリカ人の男優を起用して、フランスでロケをし、そこに中国系アメリカ人の書いたSF小説が作中作として挿入される。本作のボーダレスな魅力はジョン・M・チュウクレイジー・リッチ!』を凌駕するだろう。
と、ここまで書いてきて何なのだが、それでも本作はやっぱり是枝裕和の作品であるとともに徹頭徹尾、日本映画なのである。確かに、この映画には「和」を感じさせる様な表現は一切ない。しかし、作品に通底する倫理観は、私たち日本人にとって非常に親しいものだ。『歩いても歩いても』で反目しあっていた阿部寛原田芳雄は、映画の終盤に至ってとりあえずの和解を果たす。ただ、それはフランス人やアメリカ人の様に心の内をさらけ出し、言葉をぶつけ合って獲得されたものではない。ただ何となく、とりとめもない会話や果たされもしない口約束を交わす間に、緩やかにもたらされるのである。彼らの関係性はだから、非常にあいまいではっきりとしない、フィクショナルな繋がりに過ぎない。しかし、家族とは本来そういうものなのではないか、という感覚は、現代に生きる日本人であれば誰もが共有しているだろう。
『真実』で表面化する反目は、カトリーヌ・ドヌーヴ演ずる大女優ファビエンヌと、ジュリエット・ビノシュが演じた脚本化の娘リュミエールの間で表面化する。事の発端は、ファビエンヌが出版した自伝「真実」の内容だ。リュミエールは、今は亡き名女優サラについてその自伝でいっさい触れていない事に激怒する。ファビエンヌとサラはかつて公私にわたって交流があり、リュミエールも母以上の親しみを寄せていたからだ。『歩いても歩いても』で、溺れていた少年を助けようとして亡くなった兄の不在が人々の心を支配していた様に、ここではサラの不在が未だに人々の心を苦しめているのだ。
映画の後半、ファビエンヌリュミエールと対話し、これまで隠していた「真実」を明かす事で和解を果たす。これは一見すると、『歩いても歩いても』とは真逆の、いかにも西洋映画らしい決着の付け方に見えるかもしれない。しかし、この「真実」は本当なのだろうか。ファビエンヌはいかにも女優らしく、娘の機嫌を直そうと演技をしたのではないだろうか。何しろ、彼女は自伝に自分の事が一行も書かれていなかった事に落胆し辞職した秘書リュックを復職させる為に、謝罪の言葉を脚本家であるリュミエールに創作してもらったほどなのだ。ファビエンヌは娘と抱擁した瞬間、同じ親子の和解をテーマとした「母の記憶に」での演技のヒントを掴み、シーンの撮り直しをリュックに命ずる。彼女は、あくまで「真実」ではなく「虚構」の存在なのだ。
リュミエールとて例外ではない。映画のラスト直前、彼女はファビエンヌを喜ばせる様な言葉を創作し、実娘のシャルロットに伝えさせる。案の定、ファビエンヌが喜んでいたと聞いて満足そうな母に、娘が訪ねる。
「これも真実なの?」
母はしばらく黙した後、娘に答える。
「そうね」
考え方も性格も異なるバラバラの人々が集まり共同生活を営む家族、という奇妙な集合の中では、いくら真実を語り心の内をぶつけ合ったところで、全てが上手くいくとは限らない。そこでは、とりとめもない話や沈黙、時には嘘を交え、それぞれが虚構を演じながら危ういバランスをとり続けるしかないのだ。家族の幸福とは、その様な迂遠な方法でゆるやかに訪れるのを待つしかないものなのである。これまで、様々な作品で家族の虚構性を描き続けてきた是枝裕和は、フランスを舞台にまた新たな傑作を作り上げた。

 

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是枝作品の中でも小津安二郎のテイストに最も近い映画じゃないかと思います。夏川結衣の艶やかさが素晴らしい。

 

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せっかくだから、主演を務めた両女優の代表作も挙げておくか。カトリーヌ・ドヌーヴジャック・ドゥミシェルブールの雨傘』も良いけど、その美麗な裸体が拝めるという点でこちらを推す。ルイス・ブニュエル作品の中では比較的ドラマ性が高いので見やすいかと。マノエル・ド・オリヴェイラによる『夜顔』という続編もあります。

 

俺の中ではジュリエット・ビノシュの代表作はいつまで経ってもこれになる。曇り空の下、両手を翼の様に広げて疾走するボーダーニット姿の少女。そのラストシーンが未だに脳裏に焼き付いて離れない。